EXECUTIVE BLOG
2020.11.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きですが
昨日は 話が逸れてしまい
知覧の特攻隊のお世話をされていた
鳥濱トメさんの話になってしまいました。
戦後から75年も経ちますと
戦時中の話が出来る方も少なくなってきてますが
我々は常に戦争は悲惨なものであることを
語り繋げればならないと改めて感じるのです。
多くのジャーナリストも 戦前のような情報が統制されることを
危惧して正しい情報を配信しようと日夜頑張っているのですが
どうしてもその情報が マスメディアを通してしまいますと
会社やスポンサーからの意向で歪められてしまうことが多く
悩んでいた時に 私との出会いがあって
新しい仕組みの情報配信の仕組みを構築することになったのです。
この話は 又後日という事で
先日からの話の続きに戻らなければなりません
昭和20年8月 いよいよ戦争末期に
誰も もう勝つ見込みがないと感じてはいたものの
公式に発言することが出来ず ずるずる決断できないでいる間に
原子爆弾も落とされ もはやにっちもさっちも行かない状態になって
始めて
時の総理の鈴木貫太郎首相が 天皇陛下に意見を求め
それにこたえる形で 天皇陛下が もはや戦争継続は不可能であるから
ポツダム宣言を受諾するべきとの意見を述べられたのです。
何度もここに書いていますが この意見は命令ではなく
終戦の手続きには閣議を通さなければならず
閣僚全員の署名押印が無ければ成り立たないのです。
陸軍大臣があくまで反対して 署名をしなければ閣議決定は出来なくなり
総辞職して 軍部の意に応じる総理大臣を選ぶことができるのです。
軍部はそこまで目論んでいましたが
阿南陸軍大臣も当初は 徹底抗戦を主張していましたが
直接天皇陛下のご意見を聞いた以上 これ以上の反対意見は 天皇に対して
失礼になると決意し 終戦への道を選ぶことにするのですが
ここにも運命的な出来事が絡んでいて
阿南大臣はかつて 侍従武官として天皇の側近として仕えていた時期があり
天皇陛下のお人柄も知っていたのです。
かつての天皇陛下の最側近として 反発することは許されないと感じていたのです。
それで 陸軍省に戻り
軍務課員に対して ご聖断が下ったと告げるのです
それで 部下に対して 天皇がそう決めた以上自分としては これ以上
反論する事ができないので もし 不服の者が居れば 自分の屍を越えて行けと
話をするのです
一部部下からは 責任を取って今すぐ切腹をしろと言う者もいましたが
軍隊では天皇の言葉は絶対ですから
大半の軍人は 承詔必謹と いう事で
その命令には従方針で動き出すのです。
これに納得しない軍人も多数いました
軍隊が出来て以来 日本は敗戦を知らないのです。
若い軍人たちは納得ができず
一部参謀将校たちが 反乱を起こす事態に発展するのです
これに賛同する軍部が多ければ
戦争継続となってしまいます
しかし
承詔必謹が 軍人を固まらせてしまうのでした
この承詔必謹とは 何か??
この言葉の意味するものは???
それは
明日に続く、、。