EXECUTIVE BLOG
2021.1.31
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 音楽から絵画の話になり
ミレーから マネの絵へと話が飛んでしまいました
そのマネは 印象派の父と呼ばれたのですが
では 誰が 印象派と言うジャンル付したのかが 今日からの話になります。
印象派という名前はモネの《印象・日の出》をもじって
ルイ・ルロワという美術批評家が名付けたのが始まりだそうです。
《印象・日の出》は、第一回印象派展という展覧会にモネが出品した絵画です。
当時、画家の成功といえば、サロンで評価されることだったのです。
しかしモネなどの若い画家たちの絵画は、サロンではあまり評価されてなかったのです。
当時のサロンが求めていた絵画は古典的な絵画表現でした。
それに対して若い印象派の画家たちが描いた絵は、当時の絵画にしては非常識な
表現方法だったのです。
当日のサロンは絵画に永遠性を重要視しているのに対して、若い画家たちは瞬間性を表現することを重要視していました。
いつの時代もそうですが価値観の違いによって、当時の若い画家たちはサロンで評価されなかったのです。
そうしたサロンへの不満から、若い画家たちはサロンに代わる新しい発表の場を求めて個展を開くようになっていきます。
そしてサロンに落選した芸術家を集めて開いたのが、
後に「第一回印象派展」と呼ばれる歴史的な展覧会だったのです。
印象派の絵は、古典的な絵画表現が評価されていた当時ではなかなか受け入れられず、むしろ芸術ではないと批判されいました。
遠近法などを利用して精密に描く古典的な絵画に比べて、印象派は大胆な筆つかいや、
全体的にボヤッとした絵画が特徴です。
当時の批評家が印象派の絵画を見て書きかけの絵だと言ったほどでした。
それほど当時の美術的価値観と印象派の価値観が大きくズレていた、ということです。
何事も新しい時代を築く人たちは、何度も言うように非常識と言われてしまうのです
マネが印象派の父と言われたのに対して
印象派の代表的作者は モネとルノアールですね
この二人の名前は よく耳にしますし その絵は何度か見たことがあるくらい
有名な絵ばかりです。
芸術や音楽だけでなく新しいことへの挑戦は常に否定されるものなのです。
人は慣れ親しんだ環境を守りたい習性があるので、新たな挑戦を基本的に嫌うように出来ているようです。
「現状のまま変わらない方が良い」とどうしても保守的な考えになりがちです
しかし それでは進化しませんね
私も日々 常識に囚われることが無いように頭を柔軟にしています
その為に ベートーヴェンの努力や 印象派の画家たちの事を学ぶ事も大切だと
思っています。
しばらく フランスネタが続きましたが
日本では江戸時代は超保守的な時代でした その中で革新的な行動を命がけで
した人が多くいます。
誰なのか??
それは
明日に続く、、。