EXECUTIVE BLOG
2021.2.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは
情報の大切さの話から
何の関連か分かりませんが 何故か関ヶ原の戦いまでに
話が逸れて行きました。
そこから あの大軍が移動してるわけですから 通過したであろう箇所の
住民はどんな感じだったのだろうか? とふと興味が湧いたのでした。
両軍合わせて約20万人が移動するのです。
今の様にバスがあるわけでもありません 遠くは仙台の伊達藩や九州からは黒田藩や薩摩藩 四国からも長曾我部藩などが 何千のもの軍勢を従えて 関ヶ原を目指したのですですよね
調べて見なければ分かりませんが いついつ関ヶ原で天下分け目の戦いをするから
いつまでに現地集合などと言う通達はどのようにして行われたのだろうか? と
興味が湧きます。
又 道中どの経路で向かうのか その時の食料はどのようにしていたのか
まさか 現代の様にキッチンカーが付いて行ってたわけでもないと思いますし
何泊もかかるのですから 途中は野宿だったのかとか 一旦興味が湧いてくると
あれもこれもと知りたいことが浮かんできます。
歴史は後年 その出来事にスポットが当たるのですが
歴史物語をそういう英雄伝ではなく 一人の百姓が見た関ヶ原なんていう
ドラマがあったら見てみたいとおもいます。
きっと 武士が皆礼儀正しかったとも思えませんから 略奪や村の女性が襲われたり
した事件があったのではと想像してしまいます。
そのような歴史書を見た事がないので この件もおいおい調べたいと思います。
何事も一面から見ると素晴らしい話でも 他方から見たらまったく違う話ではないだろうか?
と思うのです。
関ヶ原後の江戸幕府が出来た後 皆さんご存知の参勤交代が始まりました。
先ほどの薩摩藩は何千もの兵を従えて江戸に向かいますし
加賀からは 100万石の前田家が参勤交代で江戸に向かってました。
又 逆に江戸から各地に帰る藩もあるわけです。
商売的に見ますと 街道の宿場や店はさぞ儲かったのではと思います。
しかし これらの藩は 移動するさいに いきなり歩き出したのでしょうか?
今の様に 通信手段情報手段がない時代です
行きあたりばったりで 街道を歩いていたのでしょうか?
もし 道中に格上藩と街道上で出くわすとなると 格下の藩は無礼者と扱われて
いたと聞いています。
しかし 一本道で 向こうからの行進が見えて それが 格上か格下を 瞬時に判断して対応しなければなりません
そんな時はどうするとか決まっていたのでしょうか?
又 全てが天気だと決まっていません 大雨が降ってがけ崩れが起きて通れない道があるかもしれません 又橋が落ちて通ることが出来るかもわかりませんね、
話は幕末になりますが 皇女和宮が 京都から江戸に嫁ぐ時は 従者の数が数万人に及んだらしいです
最初に行進がでて最後列の人が出発するまでに数日間かかったということです
最後列の人と最前列の人とはどのように連絡を取っていたかとか
興味は尽きませんね
今では当たりまえにある通信手段ですが 当時はなかったのです
どのように道を決め 宿を決めていたのか??
こんなことは学校では教えてくれませんね
では どうしていたのか??
それは
明日に続く、、、。