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社長&顧問ブログ

2021.3.23

東京23区で一番高い山

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです

 

昨日までは 今の暦で 3月24日に起きた

桜田門外の変の話でした

なかなか教科書だけでは分からない話があるものです

どうしても教科書だけだと表面的な事しか学べないので

その奥にあることを知ることが出来ませんが

最初に 先生から 江戸時代にもバイトがあったんだぞとか

の話が出たら 生徒たちは えーなんで? と興味を持って

面白くもない歴史の勉強にも身が入ると思います。

 

これは 歴史に限らず 数学でも同じことが言えると思います

特に 高校になると 微分やら積分やら 私にとりましては頭が痛くなるような

授業があり まったく理解も出来ませんでした。

 

そんなの習って何の役に立つのか? と 出来ない者同士集まると良く言っていたような

気がしますが

 

そんな時も 何故 微分が必要なのか? 何故積分が必要なのか? と

興味が湧くようなたとえ話から入ってたら もっと突っ込んで勉強していたと思うのですが

教える側の学校も 成績の低い生徒に合わせての授業などできないので

仕方が無かったのでしょうね

 

 

で 今日の話はと言いますと

桜田門外の変に参加した 水戸浪士が集まったと言われる

○○山の話です

 

この山は 港区になる 愛宕山なのです

この山の標高が 僅か26メートルなのです これでは 万が一大津波が

押し寄せてきたら飲み込まれてしまう高さですね。

では どこに逃げれば良いのか??

なんて 焦ってしまいますが

 

こんな心配しなくても 周りは 虎ノ門ヒルズをはじめ超高層ビルがいくつもありますので

大津波警報が出たらそこへ逃げ込めば良いのです。

 

で 何故 愛宕山に上ったかと言いますと そこには

愛宕神社がありまして 襲撃当日の朝7時に そこに集まり成功祈念をしたのだという事です。

 

襲撃メンバー18人全員は、今は現存しないが敷地内にあったという絵馬堂に勢ぞろいして、神前に彼らの義挙が成就することを祈念したのですが

それを記念した櫻田烈士愛宕山遺蹟碑と書かれた大きな石碑が今でも存在してます。

 

愛宕神社は、慶長8年(1603年)に徳川家康の命により江戸の防火の神様として建立された社なのです。

 

彼らは彼らの論理として、今回の桜田門外での行為は徳川幕府のための義挙であるとの主張から、

正当性を主張するうえでも地理的にも愛宕神社に詣でたことは、ある意味必然だったのだと言われています。

 

三つ葉葵の帳が降りる本殿の内陣にも、降りしきる雪の中を愛宕神社に集結した水戸浪士たちの姿を描いた額絵が飾られていて、

愛宕神社が徳川幕府にとっても浪士たちにとっても所縁のある土地であることを主張されています。

 

この愛宕山からは桜田門は意外と近いのです。

浪士たちは積もる雪を踏みしめながら愛宕山を降りて、一路桜田門を目指したのでしょう。

 

この愛宕山ですが 他にも歴史に残る話があります

一つは 太平洋戦争の終戦の日に関係する話と

もう一つは ここの神社に上る為の階段があるのですが

この階段を上った方は分かると思いますが

物凄い急階段なのです。

本当に気をつけていないと 今にも転がり落ちそうになる感じが

する位の急な階段です。

 

この階段

別名 出世階段も呼ばれていて

 

出世の縁起を担ぐサラリーマンが登っている姿を見かけます

 

この階段、

 

何故 出世階段と呼ばれるようになったのか???

 

それは、、、

 

 

明日に続く、、、、、、。

 

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