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社長&顧問ブログ

2021.8.11

1300年前に学ぶ

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

昭和20年の終戦時の話でした。

 

戦争を終わらせると言う大変な決めごとを 外務省側は ポツダム宣言を受け入れると言うのに対して

陸軍側は 天皇の大権が保証されていないポツダム宣言をそのまま受け入れるわけにはいかないと断固反対したのでした。

 

いつまで経っても結論が出なかったために 鈴木首相が 天皇陛下のご聖断を仰ぎ それを結論とすると決めたのでした。

 

その時天皇陛下は 自分の権利の事を言うのではなく 国民の事を真っ先に考えて

自分の身がどうなろうと早く戦争を終わらせるべきだと述べたのでした。

 

天皇陛下御自ら 天皇の大権のことは二の次と言われた以上

陸軍大臣としては その大御心に反対するわけにはいかなかったのです。

 

これは

 

陸軍中央の幹部も同じ考えで

陸軍参謀総長はじめ 東部軍司令官 近衛師団司令官も同様の意見となりました

 

その時 一旦天皇が決められた以上それを 守りましょうという事になり

その時に 使われた言葉が 「承詔必謹」 だったのです。

 

この4文字だけで 全ての軍人が 規律正しく降伏命令に従うのです。

 

では この 言葉は どこか出て来たのか? という事になるのですが

 

これが 何と 聖徳太子時代の 十七条の憲法からきているのです。

 

それで 昨日は その一条の事を書きましたが

第二条の 意味は何かという事になります。

 

この意味は

 

心から三宝を敬いなさい。三宝とは仏と法理と僧侶のことです。

生きとし生けるもの最後に行き着くところは、

どこの国でも究極の宗教です。

どの時代でも、どんな人でも仏教を尊ばないものは無い。

人間に悪い者は少ない。良く教えれば正道に従う。

仏教に帰依しないで、

何で曲がった心を正すことができようか。

 

と言う様な事が書かれているのです。

奈良の大仏を作った当時の天皇陛下も 仏教を信じていて

当時 病気や災難から民を救うために大仏を作ってましたね

 

歴史的な背景としては

仏教崇拝派の蘇我馬子が

「異国の神」として仏教に否定的だった物部守屋との争いに勝利して、

日本最初の女帝、推古天皇が「三法興隆の詔」(594年)を発する。

初めて天皇が仏教を公認した時代だったのです。

 

これを基にして 聖徳太子が604年に 十七条の憲法を作ったと言われているのです。

 

聖徳太子は悪い人間は少なく、よく教え導いたならば、必ず従うようになるとし、

仏教の精神に基づき、国家を営べば、

第一条にある「和の世界」実現できると考えたのでした。

 

 

そして これに続く 第三条に これから1300年以上経った

終戦の時に政府軍部内で広く使われ 不満分子を この言葉だけで

押さえていくのですから まるで魔法の言葉ともいえるのではないかと思ってしまいます。

 

 

その三条については、、、

 

 

それは

 

 

明日に続く、、、。

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