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社長&顧問ブログ

2021.8.16

宮城事件

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

76年前に 日本が連合国からポツダム宣言を通告され

なかなか終戦を決められなかった政府が 最後はご聖断を仰ぐと言う

手を使ってポツダム宣言を受諾し終戦を迎える事になったと言う話でした。

 

7月26日に通告を受け 8月15日に 天皇陛下自ら終戦を伝える玉音放送が

全国民にラジオ放送されるまで の半月あまり

政府内 軍部それぞれの立場で 色んな事があったようです。

 

 

建国以来 始めての無条件降伏を受け入れると言う経験はありませんでしたし

鎌倉時代には 元寇襲来と言う国難も神風が吹くという奇跡によって

日本が助かって以来 日本は神の国だからどんな危機的状況になろうとも

最後は神風が吹くものだと 誰もが思っていたのですが

 

原爆を投下され 満身創痍の中 ソ連が条約を破棄して宣戦布告してきたわけですから

一部軍人が唱えた徹底抗戦 本土決戦で死中に活を求める事はできないと

天皇陛下は考え 例え負けても日本を再構築する道を選んだのでした。

 

八月十四日の最後のご聖断から翌日十五日の玉音放送が流れるまで

何事もなく進んだのではなく このたった一日の中で 最後の抵抗 あがきが

一部軍人によって行われていたのです。

 

軍部は ご聖断が決まってからは 「承詔必謹」 の言葉の下

全軍粛々と武装解除に向けて動き出していたのですが

畑中健次少佐他数名の 陸軍省一部将校たちは

近衛師団長を射殺した上 偽の師団命令書を書き その時宮城警備を担当していた

芳賀連隊長を騙して 宮城を占拠してしまったのです。

 

丁度その時は 天皇陛下の玉音放送の録音が終わったばかりで 録音盤をどうするかと

NHK職員 宮内庁が検討をしていたのですが

深夜に持ち出す事は危険であるとの判断で この大事な録音盤は 天皇の側近の侍従が

預かることになったのです。

 

畑中少佐たちは 宮城占拠のあと 録音盤が外部に持ち出されていない事に気が付き

皇居内くまなく玉音盤探すのでした

 

この玉音盤を奪い取り 15日の正午の全国民への放送を出来なくすれば

戦争が継続できると考えての行動でした。

 

しかし 彼らの行動は 一緒に行動を共にしようと考えていた井田中佐の耳に入ることになり 井田中佐は 畑中少佐に対して

東部軍が冷え切って 立ち上がることは無い事 師団長を殺しておいて近衛師団の団結はあり得ないし その死が師団内に伝われば指揮は一挙に崩壊するだけだから

夜明けまでに兵を引け と 伝えるのでした。

 

それでも諦められない 畑中少佐は 早朝NHKに出向き

「自分に放送をさせろ」と迫ったのですが

当時のNHK職員が とっさの機転で

「現在警戒警報発令中で 東部軍の許可が無ければ放送をするわけには行かないと」

畑中少佐から銃口を突き付けられて迫られていたにも関わらず 断ったのです。

 

一方 宮城を占拠していた反乱軍も 夜明けとともに 東部軍司令官自らが

かけつけ 「貴様たちは反乱軍である」と一喝して 兵を引き揚げさせたのでした。

 

これらの 事が行われているときに

阿南陸軍大臣は

陸軍の全責任を負うと言うことで

大臣官邸で 割腹自殺をとげるのでした。

 

 

その時に残した辞世の句が

「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」

でした

 

この辞世の句は 大臣が割腹自決を行った時に血染めになったのですが

この 句は 今でも 靖国神社横の記念館にあります。

 

また

 

畑中少佐 椎崎中佐は

皇居前広場で 頭を撃ち抜いて自決したのでした。

 

 

昨日 は 終戦の日でしたが

ポツダム宣言通告の日から僅かな間でこのような事があって

今平和な生活を我々が過ごせていることを

忘れてはならないと思います

 

 

さて

 

終戦物語は

一旦ここで終わり

 

明日は

 

ITの話に戻れるのか???

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