EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2021.8.17

日本最古の商店街??

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

76年前の7月26日のポツダム宣言通告から 玉音放送が流された8月15日までの

政府 軍部の動きについてでした。

 

この半月だけで見ても 軍や政府の関係 はたまた 天皇陛下の役割が見えてくると思います。

 

ご承知の通り、戦前は大日本国憲法で 今は 日本国憲法になっています。

同じ日本ですが 戦前と戦後ではモノの考え方も違っているので

なかなか理解しがたい部分もありますが

実際 太平洋戦争と言う悲しい歴史があったのは事実なのです。

 

阿南陸軍大臣が当初は徹底抗戦を主張するも 天皇陛下のお言葉で

承詔必謹として聖断を遵守するも 最後は責任をとって割腹自決を行い、

最後まで戦うと皇居までも占拠すると言う暴挙にでた若手陸軍将校も

立場は違えど 皆 日本を愛するが為の行動だったのではと思います。

 

現代人からすれば なんと馬鹿げた事と思うかもしれません。

勝つはずもない戦いを始めたり 天皇が止めろと言う事が出来たならば

始めるなとも言えたのでは? とか

若手将校は何故見込みのないクーデターを起こしたのか?

これらをすべて理解してなかなか納得できないと思いますが

こういう事があった事実を我々は知って 後世にも残す義務があるのではと

つくづく思うのでした。

 

戦争は 遠い昔の出来事のように感じている人が多いかとおもいますが

それでも まだ戦後76年です。

90代で元気な方は まだ昨日の様にあの悲惨な出来事を覚えているようです。

彼らが無くなる前に少しでも多くの事を知っておきたいと思います。

 

76年までもそうですから 1000年も前の事になると 完全に物語でしかなく

その頃を知るには 遺跡と伝聞とかから想像するしかないようです。

 

前にも書きましたが 76年前 博多が大空襲を受ける恐れがあるという事で

博多駅にほど近い 御供所町は 住民に対して強制疎開を命じて そこに広い道路をつくり その道路名が 疎開道路と名付けられたという事を そのあたりの古老の話か

道路の標識を見て初めて知るのですが 学校ではなかなか教えてはくれません

 

同じような事を また 経験したのですが

 

疎開道路付近の 四つ角の遺跡を見て この辺りに 日本最古の商店街が

あったと言う事を知ったのです。

 

普段通っていても よほど気をつけていないと 気が付かないのですが

興味を持って歩いていると 色々な事を発見します。

 

今回は 日本最古の商店街と書いてあるのをみて

「なんだこれは?」と思ったのでした。

 

古くから商人の街として知られる博多ですが

博多にかつて『魚町』と呼ばれた商店街があったと言うのです、

それは

現在の上呉服町付近の場所で、鎌倉時代に出来上がった商店街だと言われています。

理由は

上呉服町の葛城地蔵堂で見つかった板碑に

「延文5年(1360年)銘」と記されていたことで、

町を見守る地蔵堂が建つのは人々の暮らしがあった証しで、

これによりここに既に町の通りがあったと判断できたそうです。

 

次いで、鎌倉時代の1195年に創建された日本初の禅寺、聖福寺に残る史料の

「安山借屋牒」(台帳)に「魚町」と記されているのが発見され、

その名の通り、魚などの生鮮食料品など売るエリアが長さ120メートル前後

あったようなので、 これがまさに商業地だったと言われているのです。

 

1000年近くまえの話になってしまうと 残された遺跡などからしか判断できませんが

昔をなんとなく思ってしまいます

 

そして昔をおもいながら 周囲を探索していると

又 面白い看板がかかった店を発見することになるのです

 

この看板の 何に興味を惹かれたのか???

 

 

それは

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍(Amzon)

次の記事へ
前の記事へ