EXECUTIVE BLOG
2021.10.20
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日からの続きです
何故か いつの間にか 日露戦争の話ばかりになっています。
ロシアの南下政策を食い止めるために 英国が日本を利用して
ロシアとの戦いを仕向けたりとか
世界情勢は緊迫していました。
日本は 何度も戦争回避の交渉をロシアと行いますが
ロシアはそれを無視して 朝鮮半島にまで軍を進ませようとしていました。
日本は 朝鮮の自立を守るためと
その朝鮮を守ることは日本の独立自尊を守ることにも繋がり、
どうしても避けては通れない戦いだったのです。
当時の日本とロシアの国力の差を比べたとき、
面積60倍、人口2.6倍、国家歳入8倍、陸軍総兵力11倍、海軍総トン数1.7倍、鉄鋼生産高30倍です。国力のあまりの差は歴然としていました。
軍事力においても、
ロシア海軍はイギリスに次ぐ世界第二位、陸軍は世界一の強さを誇っていました。
ドイツ帝国でさえロシア陸軍を恐れ、戦いを避けていたほどだったのです。
どう考えても日本に勝ち目のない戦いでした。
しかし ここで 日本は死中に活を求める精神で戦いに臨むことにしたのでした。
そしてついに
1904年、明治政府はロシアとの国交断絶を決定し、日露戦争へと突入しました。
やがて日露戦争は、世界の歴史を大きく変えることになります
日露戦争が起きたことが国際社会に流れると、
正気の沙汰ではないとどの国のマスメディアにも驚かれました。
大国ロシアは日本のような小国が全面戦争を仕掛けられるような相手ではないからです。
ところがいざ始まってみると、
日本軍は各所の戦いでロシア軍を圧倒したのです。
乃木希典の指揮する第三軍は、旅順要塞の攻略で多大な戦死者を出しながらも、203高地をついに陥落させ、頂上から旅順港内に停泊していた旅順艦隊を砲撃し、
これを完全に壊滅たのです。
旅順陥落までの戦闘で乃木大将の2子が戦死し、悲劇の将軍として国民的敬愛を集めたのです。
無謀な攻撃だとの非難も浴びましたが ついに旅順要塞司令官ステッセル中将の降伏申し入れを受れたのです。
のちに乃木大将は学習院院長を務め、明治天皇の死に際しては
その日に東京赤坂の自宅で割腹して殉死、夫人もその後を追った事で多くの国民は
驚きました。
この 赤坂の私邸が 後に今の乃木坂にある 乃木神社になった事を、 今では知る人も
少ないようです。
乃木大将の話は 後にゆっくり書くとして
203高地を何故陥落させなければならなかったのか?
そこから旅順港にめがけて 何故砲撃をしなければならなかったのか?????
その旅順港での戦いで
もう一つ 歴史に残る秘話があるのですが
こちらを
知っている人も 今では 少なくなっていると思います。
ヒントは
杉野水兵です、
分かりますか???
この杉野水兵の身に何が起こって
それが どうして
歴史的な秘話となって行くのか?
それ以上に 旅順攻撃には何の意味があったのか???????
随分前にも書いていますが
この話は
またまた
明日に続く、、、。