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社長&顧問ブログ

2021.10.21

203高地攻略は必須だった

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

風刺画から日露戦争を読む解く話でした。

 

日本が明治維新後西欧の圧力に対してどのように対峙して行ったのかを

改めて知ると面白いと思います。

 

ちょっと前までが江戸時代で鎖国を行っていた日本が

何故 日清 日露と勝てたのか不思議だと思うのです。

 

そこには 一切今までの常識が通用しない世界があったのですから。

 

それを 短期間で 国際情勢を読み解き 小国ならではの知恵を使い

戦術を練って 更には タイミング良く 講和に持ち込む等

誰が考えたのかと思ってしまいます。

 

前例が無かった事が常識に囚われずに済んだのかもしれません。

 

それが 太平洋戦争になると ただ 戦争に負けた事がない これは 日本が

神の国であるからと 何かあれば 神風が吹くという 精神論ばかりに走ってしまい

当初有利に戦っていたにも関わらず 講和のタイミングまで逸してしまい

破局的な最後を迎えてしまったのではと思うのです。

ロシアを破った日本は負けることがないと思い込んでいたのではないでしょうか?

 

日露戦争を戦った 将軍は 無くなる前に 日本は 今後絶対にアメリカを敵に回しては

駄目だとの遺言を遺すのですが、

妄想した昭和の日本軍は その事すら忘れてしまったのでしょう

 

長い江戸幕府を打倒し 西欧の列強に勝つためにはどうすれば良いか?

国力の差があることを十分認識して 戦略を練っていたことは明治人は

素晴しいなと思うのでした。

 

 

それで 昨日の続きにもなりますが 乃木大将が 我が子を二人も亡くすと言う

203高地で激しい戦いをするのですが

ほぼ 裸の山の上に陣取る ロシア軍めがけて攻撃を行い 多数の戦死者を

出しながら 何故 この山を攻略しなければならなかったのか?

 

それは この山頂から 旅順港が見下ろせるからだったのです。

 

何故 旅順港を見下ろせればよいのか?

単に観光の為ではないですよね

 

ここに 陣地を構えて大砲を配備することで 旅順港に停泊している

ロシア海軍の旅順艦隊めがけて陸からの攻撃が出来るからだったのです。

 

何故 旅順艦隊はそこに じっとしていたのか? という事になりますが

 

それは

当時世界最強艦隊と言われた バルティック艦隊が 日本を撃破するために

ロシアから向かっており その到着を待って 合流することで

日本の連合艦隊と戦う為でした。

 

日本側からすれば 旅順艦隊だけでも手ごわいのに それに バルティック艦隊まで

加われば 猛訓練を積んだ日本海軍の連合艦隊といえども 勝ち目が無いのは明白だったのです。

 

その為に バルティック艦隊が日本へ到着する前に 旅順艦隊を撃破しなければならなかったのですが 旅順艦隊は 東郷平八郎率いる 日本の連合艦隊と戦うのは

まだ不利で バルティック艦隊が来て合流してから決着を付けようと考えて

自分達は 旅順港へ引きこもってしまったのです

ここからおびき出さなければ 日本海軍も戦えません。

 

それであるならば 旅順港を見下ろせる 203高地から陸軍の大砲で

攻撃しようと日本は考えて 無謀とは言える作戦で 乃木大将は

203高地を攻撃したのでした。

 

ここで 不思議に感じる人も多いかと思いますが

 

それを知った旅順艦隊は やられる前に 旅順港から出て来くれば良いではないかと

思うでしょう。

 

みすみす攻撃されるくらいであれば 日本海軍と一戦を交えた方が得ですから。

 

しかし 出てこなかったのです

 

そんなに 臆病だったの????

 

と思うかもしれませんが ロシアも勇敢なる軍人達です

こうなれば一戦を交えようと考えるはずです

 

しかし 出来なかったのです

 

それは 何故か??

と言う話に続かなければなりませんでした

 

そこで 杉野水兵の話が出て来るのですが

 

この話は

 

どうなって行くのか????????

 

それは??

 

明日に続く、、、、。

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