EXECUTIVE BLOG
2021.12.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
昭和16年 12月8日の 真珠湾攻撃の話でした。
この日が 太平洋戦争の始まりとなったのですが
この奇襲攻撃を 米国側は 知っていたと言うのが 昨日までの
話でした。
先ず攻撃させて 米国の世論を高めてから反転攻勢に出ると言う作戦を
企てていたようです。
この時、日本軍の攻撃は大した事はできないと
米国側は見ていたようなのですが
その理由と言うのが あまりにも 日本人を差別している内容だったのです
その内容と言うのが?
と言うのが 今日の続きとなるのですが
またまた 話が逸れますが
今朝、興味ある番組がNHKで流れていました。
そこには、私が 10月24日に書いたブログに関する内容の回答が放送されていました
参考までに その日のブログです
https://takamitsu.com/blog/%e4%b8%87%e4%b8%96%e6%a9%8b%e9%a7%85%ef%bc%9f%ef%bc%9f%ef%bc%9f/
戦前まで 東京の中心として栄えていた街は 神田須田町だったのです。
ここにあった 国鉄万世橋駅前に 広瀬中佐の銅像があったのですが
何故 この銅像が姿を消したのか????を あまり知られてないのです。
その理由がわかる番組でした
そこで 明らかになったのは 終戦後 軍人達の戦争責任を問う 戦争犯罪人裁判が
行われ 多くの元軍人たちが処刑されたのは 周知の事実です
その一方で 戦争を煽りけしからん銅像は撤去せよとの 銅像戦犯裁判のようなものが
行われ その中で 万世橋駅前にあった 軍神の 広瀬中佐の銅像が撤去破壊されたと
言うのです。
日本を守るために戦った 英雄広瀬中佐も 戦後は悪人扱いにされてしまったのですね。
なんとも言えない気持ちになります
太平洋戦争後、多くの戦争犯罪人が処罰されますが
そのきっかけとなったのが 真珠湾攻撃だったのです。
しかし その時米国側は 日本の攻撃は大したことではないと考えていたと言う内容が
あまりに 日本人を馬鹿にしている内容なのですが
それが
「日本人は首がすわる前からおぶられ揺すられるから、
バランスをつかさどる内耳に異常をきたし、急降下飛行ができない」
「近眼で鳥目だから夜間飛行はできない」
「日本人には独創力と想像力に欠けている。わずかな能力は単なる模倣性にしかすぎない」
と思われていたのです。
それで
真珠湾が攻撃されても日本はたいしたことは出来ないだろう、
と思っていたのが大打撃になったわけです。
しかし この攻撃によって 米国に反撃の口実を与えてしまったのも
事実だったのです。
米国の戦いを歴史上見てみると
先に手を出させておいて 後で大反撃をすると言う 戦いが数多くある気がしますが
この内容については 又別途書かせて頂きます。
そして
いよいよ 太平洋戦争がはじまるのですが
当時 ハワイや米国本土に居た日系人は 大変な目に遭う事になるのです
彼らには どんな運命が待ち受けていたのか????
それは?????????
明日に続く、、、、、。