EXECUTIVE BLOG
2021.12.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 真珠湾攻撃に纏わる話でした。
ところで
今日は 赤穂浪士討ち入りの日ですね
元禄15年12月14日に 討ち入りをしたと言う話は
多くの方がご存知かと思いますが
またまた 話が逸れそうなので
先ずは 真珠湾攻撃をの話を進めさせて頂きます。
真珠湾攻撃とは日本の海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と真珠湾基地に対して行った攻撃のことです。
結果としては日本の奇襲作戦は成功し、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈させることに成功しました。
そして
この真珠湾攻撃をきっかけとし、日米戦が始まります。
1930年代のアメリカ社会は、とくに反日の姿勢が見られた時期でした。
なぜならフィリピン〜ハワイと領土を拡大していたアメリカは、
つぎの目標として中国・満州の進出を目指していたのにもかかわらず、
日本が満州地域の領土を拡大していったからなのです。
アメリカの鉄道王ハリマンの満州鉄道買収計画が日本によって拒まれると、
日系人への迫害が始まるのです。
そして昭和6年9月、日本が引き起こした満州事変が、日本とアメリカの対立の引き金になったのです。
この時期
日本は資源をアメリカからの輸入に頼っており、関係修復が望まれ日米交渉が始まりましたが、なかなか進展しませんでした。
それで日本が自給自足ブロック建設を目指し、仏印(フランス領インドシナ)への進駐を始目る事にしたのです。
しかし この事により
アメリカによって在米日本人の資産が凍結され、昭和15年の8月には対日石油輸出の中止措置がとられてしまったのでした。
以降日本の物資の欠乏は深刻化して、
「ジリ貧状態」を打破するために日米開戦が叫ばれるようになるのです。
さらに追い打ちをかけるように
昭和16年11月26日にアメリカのハル国務長官が日本側に対案を渡します。
いわゆる「ハルノート」と呼ばれる提案書には、以下の4つの項目が提示されました。
「ハルノートの内容」
米英中ソ日などの間の多変的不可侵条約の締結
仏印の領土主権の尊重
中国。仏印からの一切の日本軍・警察力の撤退
国民政府以外の不承認、日独伊三国同盟の空文化
あまりにも理不尽でアメリカの都合の良さだけのハルノートは
日本の満州事変以降の日本の外交政策を完全に否定した内容で、
日本側はこれを最後通牒としてしまい、
同年12月1日の御前会議において開戦が決定されます。
これは 完全に 戦争を仕掛けて来いとしか言いようのない内容だったのですね。
ハル国務長官は、日本がハルノートを受け取ったらどのような行動に出るか、
つまり日米開戦が起こりうることは承知していたのです。
またルーズヴェルト大統領も、最初の一弾をいかに日本に撃たせるかに関心があり、
「アメリカの考えに賛同しないかぎり、日本が戦争を仕掛けてきても止むを得ない」
という認識を持っていたのです。
日本側もこの時には 勝ち目は無いと考えていたようですが
先に 大打撃を与えてしまえば 有利な条件で講和に持ち込めるとの考えもあったようですが
それが どこで間違えたのか ずるずると 破局的は敗戦にまでなってしまったのです。
子供の頃 父親からは
ミッドウェー海戦の辺りで 止めていれば 無条件降伏にはならなかったと
酒を飲むたびに 言っていたのを思い出します。
この真相は まだまだありますが
このままだといつ終わるか分かりませんので
一旦終了という事で
これより 遥か昔の出来事の
赤穂浪士討ち入りの真相に話を 進めたいと思います。
実は 浪士が自決した場所が 今の港区の都営住宅近くにあるのですが
私がその場所を見に行った時に!!!!!!
何が 起きたのか??????????
それは????????????
明日に続く、、、、。