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社長&顧問ブログ

2022.2.13

紀元二千六百年記念式典

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

野球の話から遠ざかってしまい

2月11日が 建国記念の日でしたので

そちらに話が逸れて行きました。

 

結局のところ 日本はいつ建国されたのかを証明するものは無いのですが

日本書紀からの話が事実だとすると

紀元前660年2月11日だという事に

明治政府が決めたのですね。

 

日本はそれまでは長い徳川幕府時代で 明治維新により

天皇を中心とした国家を明治政府は作る事を考えていましたので

その一環で 紀元節を設けることにしたのだと思います。

 

では、明治政府はどのように、紀元節を国民に浸透させ、

お祝いさせるようにしたのでしょうか?

 

江戸時代から生きている当時の人たちからしますと

 

「え?紀元節?それは何?」と思うでしょうし、

神武天皇の即位日 と 聞いても それが一体どうしたの???と

感じたに違いありません。

 

この時代のアジア諸国は、

欧米列強の侵略によりどんどん植民地となって搾取されていました。

その状況を目の当たりにしていた当時の明治政府高官達は、

教育から変えていくことを考えたのだと思います。

 

鎖国平和ボケした日本国民を教育していったのです。

そうしないと、各国に結ばされた不平等条約改正のための準備も出来ませんし

他のアジア諸国同様に欧米諸国の植民地となってしまうからです。

 

日本に小学校が出来たのが確か明治5年だったはずで、

その時に、小学校の教科書に「紀元節」を載せて、小さい子供に教えて行くことにしたのです。

時は過ぎ昭和に入り 昭和15年、 翌年が 太平洋戦争開戦の年ですが

当時の 軍部 政府は 国民一丸となって天皇の下に戦う気持ちを

持たせようと考えたのです。

 

この昭和15年は神武天皇御即位から、ちょうど2600年に当たる日だったのです。

 

当時の朝日新聞一面には

【晴の紀元二千六百年式典】

 

【両陛下臨御、輝く盛儀 宮城外苑に漲る赤誠】

 

【聖なる歴史の一瞬!荘厳胸打つ式典拝観記】

と 戦意高揚する文字が並べられていました。

 

今の朝日新聞の社員はどう思っているのか?知りたいですね、、、。

 

このようにして、敗戦後占領軍の支配下に置かれるまでは、

紀元節を祝っていたのですが、

戦後、占領軍は神道排除を理由に、と言うか 天皇の名のもとに

軍事国家にさせないために

「たとえ国会で紀元節が承認されても、これを許可することはできない」

として、2月11日の祭日を許さなかったのです。

 

それで 昭和40年まで 日本国誕生を祝う日が取り決められなかったのですが

ついに 努力が実って 建国記念の日 として 日本国の誕生を祝えるようになったのです。

 

しかし 当時の連合国、占領軍は 紀元節を許さなかったのですが

万が一にも 再軍備でもして 戦争を起こすと心配したのでしょうか?

 

戦後昭和21年だったか 22年だったか これでもかと言う事を行うのです。

 

随分前のブログでも書きましたが 昭和23年12月23日 今の上皇陛下の誕生日に

A級戦犯を処刑したのですが

 

それに関する事が行われた日なのです。

 

一体戦後すぐの 日本では今まで 一番めでたい日の 2月11日に 占領軍は

何をしたのか???????

 

それは

 

明日に続く、、、、、。

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