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社長&顧問ブログ

2022.2.27

佐賀の七賢人

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 佐賀県出身の 大隈重信から

北海道を開拓した 島義勇の話になっていました

 

そして今日は 島義勇の続きに進まなければなりませんが、

 

幕末の佐賀藩は 地味ですが活躍した方が多いような気がします。

 

今では 人口80万人ほどだと思いますが

これであれば東京都世田谷区の人口の方が多いのではないでしょうか?

 

こんな小さい藩ですが 幕末は 薩長土肥と言われ

薩摩 長州 土佐に次いで 肥前 すなわち今の佐賀県が 日本をリードしていたのです。

 

お隣の雄藩 我が福岡県は 当時黒田藩ですが 明治維新での活躍はあまり耳にしませんね

それどころか 偽札づくりで有名になったのです

 

この内容については 又長くなりそうなので

今日は 佐賀の偉人についてです

 

佐賀には、佐賀の七賢人と言われる人たちが居たのです。

この七賢人とは

江戸時代末期から明治維新にかけて活躍し、その後も功績を残した、

佐賀藩(今の佐賀県)出身の七人、

鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信の総称なのです。

 

これらの人物は明治時代頃から顕彰されていたのですが、

「七賢人」と総称されるようになったのは

昭和56年ごろからであるというのです。

 

しかし 佐賀の人たちに聞いても 全員言える人は少ないようです。

 

簡単に彼らの業績をみてみますと

 

鍋島直正は、

佐賀10代藩主として藩の近代化に努めたのち、

明治新政府では北海道開拓長官となりました。

 

副島種臣は

外交官として活躍し、マリア・ルス号事件で中国人労働者の人権を守りました。

 

江藤新平は、

明治新政府で多くの官制改革を提案した他、司法制度の基礎をつくりました。

 

大隈重信は

2度も総理大臣になり、また、

早稲田大学をを創立した他、鉄道の創設にも尽力しました。

 

佐野常民は

日本赤十字社の前身である博愛社を設立しました。

 

島義勇は

札幌の市街地建設などを行いました。

 

大木喬任は

教育制度の基礎を確立し、首都を東京とすることを提案しました。

昨日までの 島義勇は 札幌の街を整備した後

実は 初代秋田県知事で 八郎潟の開発にも手掛けたという事です。

 

しかし

島は その後は 反乱軍になってしまうのですが

その時の同士が 同じ七賢人の 江藤新平です。

 

彼らが何を行ったのか?????

 

少し前に トム・クルーズ主演の 「ラストサムライ」 と言う映画がありましたが

この映画 彼らの行った事を参考に出来た映画と言われているようです。

 

では

 

島と江藤は 何をしたのか???????

 

それは????????

 

明日に続く、、、、、。

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