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社長&顧問ブログ

2022.3.10

九人の乙女の碑

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日からの続きです

本来であれば 赤いポストの話に進まなければなりませんでしたが

ウクライナでは悲惨な戦争が続いています。

昨日 ゼレンスキー大統領が ロシアをテロ国家として認めるようにと

イギリス議会に訴えました。

それでも ロシアは今日現在軍事侵略を続けています

 

そんな事で 父が生前事あるごとに話をしていたことを思い出した

話になりました。

 

昨日書きましたように 太平洋戦争末期 今のロシアの旧ソ連は

一方的に 日ソ不可侵条約を破棄して

日本に二発目の原子爆弾が投下された日を狙って 日本に宣戦布告してきたのです。

そして あろうことか 8月15日に 日本が無条件降伏をして終戦になったにも

関わらず 日本へ向けて侵略して来たのです。

 

これに対して 多くの日本人が憤慨して 父をはじめとして多くの日本人は

ロシアは信じられない国だと思うようになったのです。

 

そして 現代 又 同じような過ちをロシアは繰り返そうとしているのです。

このロシアの侵略行為を見て

戦後、北海道で起きた悲しい出来事を思い出しました。

 

戦争には 悲しい出来事はつきものですが 戦争が終わった後にまでこのような

事件があったことを 我々は忘れてはならないと思います。

 

それが

九人の乙女の物語 です。

 

映画にもなった話なので ご存知の方も多いかと思いますが

稚内に 「九人の乙女の碑」 が 建てられています。

これは

昭和20年8月20日、終戦5日後に、

樺太真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、

自ら若い命を絶った9人の女性の霊を慰めるために建てられた慰霊碑です。

 

交換手姿の乙女の像を刻んだレリーフをはめ込み、亡くなった9人の女性の名前、

そして彼女たちの最後の別れの言葉となった

 

『皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら』

 

の文字が刻まれています。

どんな思いで最後を迎えたのでしょうか???

この言葉を読むだけで 悲しみが込み上げてきますね。

 

この慰霊碑の碑文には

 

「戦いは終わった。

それから5日、昭和20年8月20日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。

その時突如、日本軍との間に戦いが始まった。

戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は、

死を以って己の職場を守った。

窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、

いまはこれまでと死の交換台に向かい

『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』

の言葉を残して静かに青酸カリをのみ、

夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。

戦争は再びくりかえすまじ。平和の祈りをこめて尊き九人の霊を慰む」

 

と刻まれています。

 

この時殉職した九人の乙女は

高石ミキ(24) 可香谷シゲ(23) 吉田八重子(21)

志賀晴代(22) 渡辺照(17)高城淑子(19)

松橋みどり(17) 伊藤千枝(22) 沢田キミ(18)

 

の皆うら若き乙女たちです。

 

どのような思いで自ら命を絶ったのか????

想像するだけで涙が溢れてしまいます。

稚内へ行かれた時は是非手を合わせて下さい。

 

戦争が終わっているのだから

死ななくても良かったのでは????と思う人が今は居るかもしれません。

 

何故 彼女たちは自ら死を選んだのか????

 

日本人の多くはご存知ないかもしれませんが

彼女たちは

第二次世界大戦末期 ドイツのベルリンへ ソ連軍が総攻撃し

ベルリンを陥落させた後の

ソ連軍の行った行為を知っていたからなのです

 

あまりにもおぞましいその行為とは???????

 

それは????????

 

ウクライナで繰り返されない事を願うばかりです、、、、、。

 

そのソ連軍の卑劣な行為の中身は

 

明日へ続く、、、、、、。

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