EXECUTIVE BLOG
2022.3.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
福岡藩士に 喜多岡勇平と言う 勤王の志士が居て
もし 過激的勤王の志士から暗殺されてなかったら
坂本龍馬より英雄になっていたかもしれないと言う話で
その坂本龍馬も 作家司馬遼太郎が 小説 「龍馬が行く」を
書かなかったら
現代人からは英雄視されていなかったのではと思うと言う話でした。
古今東西 沢山の英雄が居ますが
我々は 彼らを直接知っているのではなく 後年の研究家や作家次第で
英雄にもなり 大犯罪人にもされてしまうのです。
ヒトラーでさえ 書き方によっては悲劇のヒロインになっていたかもしれません。
あまりに国を愛するが故の行為であり もしかしたら側近にそそのかされての行為を
行っていたのかもしれません。
以前に シンドラーのリスト と言う映画を見ました
シンドラーは 戦後ユダヤ人にとりまして 命の恩人と言われていますが
捉え方次第では 金に目がくらんだ商人がユダヤ人を利用しただけの話だったかもしれません。
日本の外交官の杉原千畝が ユダヤ人を助けた日本人として有名ですが
意外に知られていないのが 樋口季一郎と言う軍人です。
彼こそ ユダヤの人からすると英雄の一人かもしれません。
外交官で命のビザを発行した 杉原千畝より 2年も前にユダヤ人の救出を
行っているのです。
又 もし 彼が居なければ 北海道はソ連のものになってしまっていて
今のウクライナのような状態に陥った可能性もあるのです。
終戦後 ソ連軍が北海道占領を目的に侵略を開始した時の戦いについては
又次回という事で
今日は 彼が何故 ユダヤ人から英雄と言われるかと言う話になります。
1938年3月8日、樋口は満州国との国境にあるソ連領オトポール駅に、
ユダヤ人難民が現れたとの報告を受けました。
人道的には救助したいと考えたのでしたが
ドイツと同盟を結んでいる日本軍の軍人としての立場を考えると、
行動は慎重にならざるを得なかったのです。
しかし、自らの失脚も覚悟して、救出を決意したのです。
関係者に食料や衣服の手配を要請し、部下に素早く指示を与えました。
南満州鉄道には、救出のための特別列車を出すことを取りつけたのでした。
こうして救出の為の移動ルートを確保したのです。
このルートが「ヒグチルート」と呼ばれることになったのでした。
そして3月12日、ユダヤ人難民一行がハルビン駅に到着すると
すぐに滞在ビザを出すことにしたのです。
これが
杉原千畝の「命のビザ」発行の2年前の事でした。
ユダヤ人難民救出後、
樋口も覚悟していたように、ドイツから日本政府へ抗議書が届けられました。
そして関東軍司令部から出頭命令が来たのです。
そこで対面したのが その後首相となる東條英機でした。
その時 樋口は上官である東条英機に向かい、
あることを言ったのです。
その言葉を聞いた当時参謀長である東条はなんと答えたのか?????
冷徹な軍人であると言われていた東条英機に対して
当時の部下である 樋口の言った言葉とは????
それは??????
明日に続く、、、、、。