EXECUTIVE BLOG
2022.3.20
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
英雄とは誰か? と言う話から
福岡には 明治維新に貢献した 喜多岡勇平と言う人物が居たと言う話から
戦争末期には ユダヤ人から英雄と言われた 樋口季一郎と言う軍人がいたと言う話でした。
樋口は 当時の上官であった 東條英機に対しても ユダヤ人を守ることが正義であると
説いて 東條も結果それを認めたのでした。
今日は この 英雄 樋口季一郎が 日本人にとっても英雄だと言う話に進まなければなりません。
その前に
少し話が逸れますが
前述の 元福岡藩士の喜多岡勇平の子孫と言う方に偶然会う事が出来たのです。
たまたま ある所で お顔を見る程度の方だったのですが
その方のお名前にも 勇の字がついていたので
もしやと思い 幕末の英雄 喜多岡勇平のご関係の方ですかと
お声掛けさせて頂いたのです。
すると
簡単に そうですよ と
そして しかし よくその名前を知ってましたね? と驚かれたのです。
人間不思議なもので 英雄喜多岡勇平の子孫と判明した瞬間
この方も偉人に見えてしまうのです。
もし 坂本龍馬に子孫が居て 直系の子孫と会ったならば 殆どの方は
驚かれると思いますし
その方に 坂本龍馬の面影を重ねて見てしまうのでは と思います。
又 更に
是非 英雄喜多岡勇平の墓参りをしたいので 教えて下さいと
お聞きしたところ
福岡の千代町にある 崇福寺にあると言われたのです。
この崇福寺は 臨済宗大徳寺派の寺院なのです。
この崇福寺は九州の触頭と呼ばれている寺です。
触頭と言われても 今の方々は 一体何なの? と思うでしょうが
幕府の寺社奉行の下 任命された特定の寺院の事で 地域内の寺院の統制を
行う由緒正しきお寺なのです。
因みに 浄土宗では増上寺 浄土真宗では 浅草本願寺 築地本願寺が
触頭寺院なのです。
簡単に言いますと 江戸時代においては
統括する寺社奉行の命令を配下の寺院に伝達したり
寺院の訴願を寺社奉行に取り次いでいたのです。
それだけの大物寺だったという事ですね。
この 由緒ある崇福寺にある 喜多岡勇平の墓参りをしようと思ったのですが
更に驚くことに 実は 私の家のお寺も 臨済宗大徳寺派の寺なのです。
臨済宗も少ないですが その中でも大徳寺派の寺院も少ないのですが
喜多岡家と同じ宗派という事で 現代の喜多岡さんに 妙に
親近感を覚えてしまったのです。
そして私 ここの崇福寺で修業を積ませて頂いた事があり
既に戒名を頂ているのです。
まだ死んでもいないのに戒名と思われる方も居るかもしれませんが
一体戒名とは何なのか??? と思いますよね
葬式の時に付けられるものではないのですよ???
話は またまた話は逸れてしまってますが
そもそも 戒名とは???????
それは
明日に続く、、、、。