EXECUTIVE BLOG
2022.4.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 1932年のロスアンゼルスオリンピックに出場した
バロン西こと 西竹一 と 城戸俊三選手の話でした。
城戸選手は 馬術競技で金メダル目前にして愛馬を気遣い
自ら馬を降りて 一緒に歩いてゴールに着いたと言う話で
愛馬「久軍」も 自分に鞭打つことなく 大切にしてくれた
城戸選手に対して ゴール後彼の胸に顔を埋めたと言うのです。
人間同士だけでなく 馬にも 愛情が伝わった話に感動を覚えました。
馬術は人が馬を信じ、馬もまた人を信じていないと決して良い結果が生まれない競技です。人がいくらうまくても、馬がいくら優れていても、そうなのです。
城戸選手と久軍はいくつもの試合を共に戦い、乗り越えてきた戦友でした。城戸選手は目先の勝利よりも、名誉よりも、大切な方を選んだのです。
◇
目撃した観客の口コミや新聞により、瞬く間に全米にこの事実が伝わりました。
そしてこの崇高な「愛馬精神」に感銘を受けたアメリカ人道協会がこれを称え、
ロサンゼルスの町はずれの「友情の橋」と呼ばれるそのほとりに記念碑を建てました。
「城戸選手は愛馬を救うため栄光を捨てて下馬した。彼はそのとき、怒涛のような喝采ではなく、静かなあわれみと慈しみの声を聞いたのだ。」
と英語で記されています。
そして日本語で「情けは武士の道」と、書かれています。
やがて日本とアメリカは戦争を始めますが、そんな戦争の中でもこの記念碑は壊されることなく、その地に残ったのです。
城戸選手は、陸軍騎兵中佐で、陸軍騎兵学校の教官も務めた方です。
そして昭和天皇や現在の上皇陛下に乗馬指南したこともあり、
黎明期の馬術界の第一人者と言われている人物なのですよ。
戦後彼は、戦争に徴用された100万頭ともいわれる軍用馬の犠牲を悼み、
「戦没馬慰霊像」の建立に奔走し、完成した像を1952年靖国神社へ奉納しました。
城戸氏の「愛馬精神」は現在、世界中の馬術に携わる者に継承されているそうです。
そして1986年 97歳の時に天国に召されて
きっとそこで愛馬久軍と再会したと思います。
先日から 西郷さんの銅像 大村益次郎の銅像の話になっていましたが
靖国神社に 馬の銅像がある事は私は知りませんでした。
今回は オリンピックに纏わる話になってしまいましたが
一つの事に興味が湧くと 次々に 興味が湧いてきます
そもそも オリンピックの発祥の地がアテネだという事は聞いていますが
何故アテネだったの?
最近のオリンピックは 近代オリンピックと言われていますが
一体だれが このようなスポーツの祭典を考えたのか????
とか まだまだ 沢山あります
そして 毎回オリンピックには感動話がつきものですね
私が一番感動したのは 柔道の山下選手が決勝戦の前に怪我をして
出場できないのでは? と思っていた時に
足を引きずりながら 会場に現れた時の話です。
きっと 相手は この痛めた足を攻めて勝ちに来るだろうと思い
誰の目にも負けが頭によぎったと思うのですが
なんと この時のエジプトの選手は 痛めた足を攻めずに堂々と戦ったのです
そして この山下は 一瞬の隙をついて勝利し 金メダルを獲得したのですが
山下の金メダルと言うより このエジプトの選手の戦い方に感動したのを
覚えています。
オリンピックの話になっていますが
そもそも 何故オリンピックは4年に一度なのか??????
その訳は????
明日に続く、、、、、。