EXECUTIVE BLOG
2022.4.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 銅像の話から
いつの間にか オリンピックの話になっていました。
そして 近代オリンピックの産みの親である
クーベルタンの話になりました。
その続きとなります。
オリンピックの復活に力を注いだクーベルタンが亡くなったのは、
1937年にスイス・ジュネーブでした。
彼の遺体はスイスで最も美しい墓地のひとつとされるローザンヌの、
ボア・ド・ヴォー墓地と言う場所に埋葬されたのです。
しかし どういういきさつからか
彼の心臓だけは、
ギリシャ・オリンピア遺跡の近くにある古代競技場のそばに埋められたそうです。
彼の心臓をオリンピアに埋葬する式典には、講道館柔道の創始者であり、
1909年に、東洋初の国際オリンピック委員に就任した嘉納治五郎も参加してるのです。
スポーツ教育に可能性を見出したクーベルタンの夢は、
オリンピックを開催することで見事に実を結んだのですが、
スポーツ教育の力を信じ、オリンピックを開催する大きな夢を描いた彼のハートが、
オリンピックの故郷ともいえるギリシャの地に埋葬されたことは、
なんと美しいエピソードだと思ってしまいます。
それから オリンピックのマークについてです。
オリンピックのシンボルマークとしてすっかり定着している「五輪のマーク」ですが、
白地の上に、青・黄・黒・緑・赤と5つの輪を描いたものですね。
五輪のマークの5つの輪は5大陸をあらわすために描かれたとされてるのが定説のようです。
世界五大陸とは
「ヨーロッパ大陸」、「アメリカ大陸」、「アフリカ大陸」、「アジア大陸」、「オセアニア大陸」の5つのことですね。
つまり、オリンピックマークは、
世界を構成する5つの大陸が重なり合っている大会で世界中で連帯し繋がっている大会であるということを表していると言われています。
5つの輪が重なり合うかたちとなっているのは、オリンピックが「世界が団結した大会」であることを表している。
と言うのが 定説になっていますが、
本当は違うという説もあるのです。
本当は
世界中に使われる国旗の色に白を加えた6つの色で描けることに
デザインの理由があるというのです。
どちらが本当かは分かりませんが
世界平和につながれば良いですね、
所で
オリンピックの事を 東京五輪とかの言い方をしますね
五つの輪だから そのまま五輪と言うのでしょうが
では 一体誰が この言い方をしたのか??? にも興味が湧きますね、
オリンピックを五輪と呼んだ最初の人は、
元読売新聞社の記者でJOCの委員をつとめてこともある川本信正氏だと言われています。
そもそも
日本がオリンピックに参加したのは、1912年のストックホルム大会からです。
日本でオリンピックのことを五輪と言うようになったのは、
1936年のベルリン大会の後からなのです。
理由は
ベルリン大会後、オリンピック関連の記事が増えた際に、
「オリンピック」の6文字を略すことができないか、と、
当時、読売新聞の運動部記者であった川本氏に紙面編集の担当者が相談してきたことがきっかけとされているようです。
川本氏は、オリンピックマークの5つの輪と
剣豪宮本武蔵の著「五輪書」から考案した「五輪」という日本語表記を考案したそうです。
当時
「五輪」以外に、「国際運動」や「国際運競」、「万国運動大会」といった表記も検討されたそうなのですが
担当者が「五輪」を気に入り、1936年8月6日の紙面で最初に使われたようです。
読売新聞だけでなくほかの新聞社も、五輪という日本語表記を使うようになったことで
「オリンピック=五輪」が定着してきたようです。
何事も ちょっとしたきっかけから産まれてくるのかなと思ってしまいます。
オリンピックネタが続いてしまいましたが
話は変わって
クーベルタンの髭は立派だなとおもったのです。
先に書いた 馬術の城戸選手も髭を生やしていました。明治から昭和の軍人には髭を生やしていた方が多いような気がしますが、、
明治天皇もそうでしたね、、、、、、
しかし
江戸時代の将軍や各大名の絵をみてみますと 髭姿がないような気がするのです
織田信長の肖像画は髭がありますが 彼は 江戸時代の人間ではありませんね
何故 江戸時代の肖像画には髭がある人を見かけないのか???????
実は 訳があったみたいです、、、、。
その訳とは???????????
それは
明日に続く、、、、。