EXECUTIVE BLOG
2022.4.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 核兵器を開発したアインシュタイン博士の話でした。
彼は
「第四次世界大戦が起こるとすれば、
その時に人類が用いる武器は石とこん棒だろう」 と
話をされていて、
これは もし第三次世界大戦が起きたならば 文明は破壊されると言う意味で
言われたのでした。
この世界的科学者が 日本に来た時に 実は福岡にも立ち寄った事があるのです。
地元福岡の人もこの事を知っている人は少ないようですし
もし 知っていたとしても その理由まではご存知無いようです。
話は 少し変わりますが アメリカの大女優だった マリリンモンローも
福岡に来たことがあるのです。
以外に 昔から国際的な都市だったのか?? と思います。
さて 話は戻って
アインシュタインは 何故福岡に来たことがあるのか??に続かなくてはなりません。
1922年日本の会社の招きに応じたアインシュタインが日本にくる船中で
血便が出る下痢と発熱の症状が出たのです、
この時アインシュタインの奥さんが、たまたま乗り合わせていた日本人の医師に
治療を頼んだというのです。
奥様は癌を心配していたようなのですが、
その日本人医師の診断は感染症ということで、医師の薬と治療で病状はおさまったのです。
ドイツ語を話すその医師の名は三宅 速と言う人物で、
九州大学医学部の外科学の教授をされていて、日本外科学会会長で国際外科学会役員でもあったのです。
三宅医師は、ヨーロッパに何年も滞在して医師として長く働いたことがある方でした。
この時の恩で友人となった三宅医師に
アインシュタインは日本訪問の際はかならず福岡の三宅さんのお家を訪問すると約束
されたのでした。
それで、日本での講演旅行の行先に福岡が加えられたという事になったようです。
アインシュタインは福岡での講演会のあと、
約束した通り九州大学を訪問し、そして三宅さんのお家でウイーンから運ばれてきていたピアノを弾いたとのことです。
ちょっとしたきっかけで 福岡に来たと言う事になったのです。
もし アインシュタインが船旅で病気にならなかったら
もし 三宅医師が船に乗り合わせて居なかったら
アインシュタイン博士は 福岡に来ることは無かったと思うのです。
私がアインシュタインが福岡に来たことを知ったのは 博多区の裏路地を歩いていた時
そこに昔 映画館があった事を知る事になるのですが
この 映画館で アインシュタインが講演を行ったという事を知ったのです。
しかし この時の日本人のどれだけの方が 彼の相対性理論のおかげで
人類が宇宙旅行出来ると思ったでしょうか???
もしかしたら その時映画館に集まって彼の話を聞いた人の多くは ポカンとしていたのではと思ってしまいます。
この三宅医師ですが よく考えてみますと
なんで アインシュタインと同じ船に乗っていたかにも興味が湧きますね。。。
一体 何故 三宅医師は アインシュタインと船で乗り合わせる事になったのか??????
それは????????
明日に続く、、、、。