EXECUTIVE BLOG
2022.5.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
本来であれば いまだに会津の方は 山口県の方とは仲良くしないと言う話で
これは
三代将軍の腹違いの弟であり 名君と謳われた 保科正之が残した家訓を
幕末に京都守護職の任に就いた 松平容保が守り抜いた事に原因があると言う話で
その 家訓とは何か???? に進まなければなりませんでしたが
いつの間にか 台東区にある 谷中霊園の話になってしまい
そこで 見つけた 徳川最後の将軍 徳川慶喜のお墓の話になってしまいました。
昨日書きましたように 本来徳川将軍家の菩提寺は 芝にある増上寺のはずですが
何故 徳川慶喜の墓が 谷中霊園にあり その墓の形も他と違うのか????
という事に興味を持った話になってしまいました
で
そもそも 初代将軍の家康の墓は 静岡のはずでしたが それが 何故彼は日光に祀られるようになったのか??? の話になります。
これには 深い訳があるようでして
地図を見て頂ければ判るのですが
静岡の久能山から日光に線を引くと、ちょうどその途中に富士山があるのです。
富士山は古来より「不死」の象徴として信仰を集めてきました。
その不死の意味を込めて家康の魂を久能山から富士山(不死)を経由して日光に祀る事で神格化しようとした狙いが見て取れるのです。
更に日光は江戸城から見てほぼ真北の方角に位置しますね。
何故真北に位置する日光にしたかと言いますと
北極星信仰が関係していると言われています。
古来より北極星は天上にあって惑わない星、移動しない星と言われていました。
また仏教では北極星を「妙見菩薩」として信仰の対象としてたのです。
で どういうことかと言いますと、
江戸城から日光を通り、北極星へと通じる道を表しているのです。
それで 日光に 東照宮を造るのですが
宮と付けたという事は
「八幡宮」や「天満宮」というように神社にしたと言う事です。
つまり家康は菩提寺のある浄土宗の増上寺ではなく、
神社に埋葬された、という事にしたのです。
これには一体どんな意味があったのでしょうか?。
それを理解するにはまず「仏教」と「神道」について理解が必要ですね
しかし 彼は 絶対に神になると言う訳があったのです。
そこまで考えるのか!!!!!!???と言う内容です
で
この話は
またまた
明日へ続く、、、。