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社長&顧問ブログ

2022.5.20

謎の怪僧天海

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは 徳川慶喜の墓が 何故谷中霊園に有るかと

言う話から

徳川家歴代のお墓の話になっていました

そして 初代家康は 何故神となって 日光東照宮に祀られたのか???

何故 神になる必要があったのか?????は

後日述べるとして

 

今回は 徳川歴代将軍家の墓が

何故 芝の増上寺と 上野寛永寺に分かれているのか???

に進まなければなりません。

 

そもそも 徳川家の菩提寺は 浄土宗の増上寺のはずですが

上野寛永寺は天台宗関東総本山ですから 宗派が違うのに 何故お墓があるのか?

に興味が湧いてきます。

 

常識的には増上寺に埋葬するのが普通で、

2代将軍の秀忠は現に増上寺に埋葬されています。

では、3代目の家光の時に何が起きたのか?????

という事になります。

これには「天海」という偉いお坊さんが関係しているのです。

この天海と言う 怪僧とも呼ばれている 謎だらけの人物で

一節には明智光秀ではないかと言われてもいるようですが

ここの話になると又長くなり 話が逸れますので これは後日として

 

南光坊天海は天台宗の僧で、

家康の側近として幕府に深く関わった事で知られています。

そして家康、秀忠、家光はこの天海が所属する天台宗に帰依していたのです。

徳川家自体は浄土宗なのですから 何故帰依したのか???は不思議な所です。

怪僧天海が どのようして将軍家に近づいたの??にも興味わきますね、、

 

それは 又として

この天海が江戸に天台宗の寺を作ろうと提案したのだそうです。

 

天海を信じていた秀忠が現在の上野公園のあたりの土地を与え、

そして3代家光の時代の寛永2年(1625年)、その土地に天台宗の寺を建立します。

建てられた元号から取って

「寛永寺」と名付けられたその寺は、その後徳川家の祈祷寺となるのです。

 

徳川家は元々浄土宗だったのですが、

家康、秀忠、家光は天台宗に帰依してしまったのです。

しかし家康は死後神格化する為に日光に祀られる事になり、

2代秀忠は天台宗に帰依していましたが、

徳川の菩提寺である浄土宗の増上寺に埋葬されたのです。

 

3代家光は深く天台宗に帰依していたので寛永寺を作り、

法要を寛永寺で行った後、日光へと移され天台宗のお寺、

輪王寺へと埋葬されたというわけです。

 

さて、この家光による寛永寺建立、天台宗への帰依の流れを受けて、

4代家綱、5代綱吉は寛永寺に埋葬されることになりました。

つまり、これにより寛永寺は正式に徳川家の菩提寺となったわけです。

これに反対したのが増上寺です。

徳川家の菩提寺として来たのですから これは当然の話です。

 

という事もあり 結局は交代に埋葬しましょうとなって、

増上寺も寛永寺も、菩提寺になったと言う経緯があるようです。

 

それで、その後14代家茂までは交互に両寺に埋葬されたのです。

 

でも

しかし

これでは

最後の将軍 慶喜が 谷中霊園に埋葬された理由が分かりませんね

 

それは??????

 

明日に続く、、、、、。

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