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社長&顧問ブログ

2022.5.23

家康の思惑とは??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

おはようございます

昨日までは 散歩の途中で見かけた 最後の将軍 徳川慶喜の墓から

の話になっていました。

 

しかし 振り返ってみますと 徳川家が15代 約260年も続いたのは凄い事だと思います。

その基礎を作ったのが 初代家康ですね。

 

家康の話になると またまた 長くなりますが 日光東照宮に 大権現の称号をうけて

自身神になったのです

 

何故 増上寺に埋葬されるのではなく 神になった事が分かれば

家康の恐ろしいほどの野望が見えてきますし

ずっと引き延ばしたままになっている

長州と会津の仲の悪さの根本迄見えてくると思います。

 

先に何故 家康は 神になることを決めたのか? の結論から言いますと

 

徳川家を永遠と続けるための策を張り巡らせましたが

最後の最後の自身の死の前にはたと 気が付いた事があったのです。

 

それは 自分が死んで そのまま 仏となり

増上寺に眠ってしまっては駄目だという事に気が付くのです。

 

何故 そのまま眠っては駄目なのか?不思議に思いますね

 

永遠に徳川家が続くための前に現れるであろう 難敵の事に気が付いたのです。

 

それが 天皇家だったのです。

 

多くの方が 不思議に思うのは 天下人になった武士であるなら 武力を持たない

天皇家を潰すのくらい簡単だったのでは???

と感じている方が多いかとおもいます。

 

武士の力を持って攻めれば 一瞬のうちに滅ぼされるくらい誰でもわかります

しかし それを お寺迄焼きはらうほどの信長でさえ行っていませんよね

秀吉もそうです。

 

この意味が分かれば 家康が神になろうとしたことが この時点で見えてくると思います。

 

何故 歴代武将が 天皇家を滅ぼさなかったのか???

答えは 簡単ですね

天皇が存在しなければ 「あなたが天下人ですよ」 と証明してくれる存在が無くなってしますからです。

 

存在証明をしてくれる価値付け機関として

天皇家はずっと生き延びてきたと言っても過言はないかもしれません。

そして この天皇は神であると言うことなのです。

 

家康は もし 将来 徳川家に反旗を翻す者が出て来るとすれば

それは 天皇を担いだ者だと言う事に気が付くのです。

 

昭和の二・二六事件の時も 改革を訴えた青年将校は 反乱軍として罰せられます

この時は 昭和天皇御自ら出向くという意思を発したので その瞬間

青年将校たちは賊軍となってしまったのです。

この経験を踏まえて 前にも書きました

昭和20年八月十五日の 反乱軍が考えた作戦が皇居を抑える事だったのです。

これで 天皇を擁した自分たちに向かってくる方が

賊軍となるのだと考えて籠城したのですが、

この時は 偽の近衛師団命令を東部軍に見破られてしまい

一日で 瓦解してしまったと言う事件もありました。

 

要するに 天皇を擁した方が正義で そうでないものは全て賊軍となってしまうのです。

 

この事を 死ぬ間際に 家康は気が付き

天皇家と対抗するためには 自分自身も神となる必要があると考えたのです。

 

これにより 神を擁する徳川家には敵対できないようにしようと考えていたのです。

 

勿論これだけではなく

その為の政策を事前にいくつも打ち出しました

 

それらの内容は????

 

それは????????

 

明日に続く、、、、、、。

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