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社長&顧問ブログ

2022.9.27

池袋

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

極東軍事裁判の話から 松井岩根大将の話と

色々展開してしまいました。

 

よくよく調べてみますと この裁判で処刑された指導者たちは

戦勝国の復讐裁判と言って良いような感じで

形だけは 裁判となっていますが

松井大将の様に 大虐殺を命令するどころか 日中戦争後は

日本人中国人の区別なく 亡くなった兵士を祀り 毎日そこに参拝し

平和を願っていたと言われる方まで 処刑されてしまっているのです。

 

この裁判自体が意味をなさないと言う意見は 当時からでていたようです。

 

その話へ 進まなければなりませんが

 

またまた 話が逸れて

 

処刑場があった 巣鴨プリズンは 今の池袋辺りになります。

 

確か東池袋中央公園の中に 慰霊碑が建っています。

この場所がまさに 処刑された場所にあたるそうです。

 

夜中に興味本位で 訪れる人が居て 何か 霊気を感じたとか 妙な音がしたとか

言う人もいるようですが

興味本位で行くのではなく しっかり 手を合わせて頂きたいと思います。

 

で 今日の話は ふと興味を持ったのは

巣鴨プリズンがあった 池袋と言う地名  なんで 池袋と呼ばれるようになったのか??

に興味が湧いてきました。

 

地名は 当たり前のように見ていますが

それぞれに 何か意味があるのではと思ったのです。

 

東京駅の前の 八重洲は ヤンヨースティンの名前から来ているとか

調べてみると 色々分かってきます

 

では 池袋は どうして この地名になったのか??

ですが

 

戦国時代の古文書に「池袋」の記載があることから、

中世にはすでに地名として使われていたようです。

江戸時代には「池袋村」という村があったそうです。

 

むかし、この地域は低湿地のため、

湧き水が豊富で、川や池があちこちにあったそうです。

 

「袋」という言葉には

「水辺、池川などの水に囲まれた土地、各川の落ち合ったところ」という意味があるそうで、水が湧き出る「ぶくぶく」にも通じているという事で、

「池」と「袋」が合体し「池袋」となったと言う説が有力なようです。

 

他には

昔、この地は湿地帯で多くの池があり、袋の形をしていた袋池(丸池)と呼ばれた池が地名の由来となっているという説もあります。

普段何気なく 使っている地名や 通っている時に見かける地名にも

興味を持つと色々な事が分かって面白いです。

 

そして この事が営業にも繋がってくるのです。

 

何故 そんな事が営業にも繋がるのか?????

 

それは??????

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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