EXECUTIVE BLOG
2022.10.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
松本清張の 点と線の 食堂車の話から 列車の話に逸れてしまい
寝台車の話になり
それはそうと 食堂車っていつからあるのか? の話になってしまいました。
食堂車は 調べてみますと明治時代に出来たみたいですね
当時の食堂者は なかなか高級感があり 最初の頃は 一般庶民には
手が届かないような感じに思えます。
しかし ちょっと前までは江戸時代で 汽車とかない時代から 僅か
数十年で 欧米の文化を取り入れて サービス開始できるようになるのですから
日本人の対応力とはすばらしいと思います。
刀で戦っていた時代から 30年ほどで 軍艦まで作り上げ 日本海海戦で
最強ロシアバルティック艦隊まで打ち破るのですから 我々の先祖は見上げたものです。
なかなか 新しい事を取り入れる事に躊躇しますから 多分 食堂車を最初に
提唱した人は 大変だったと思います。
きっと 周りからは 誰が 汽車の中の食堂を使うのか?? とか
日本人なら おむすび弁当さえあれば良いのだ とか 相当言われたのではと
想像できます。
しかし その壁を乗り越える事で新しい 文化サービスが発展して行くのですね
話は 逸れますが 先日 都内でタクシーに乗って 動画広告をみていたら
私が20年前に発想してサービスを行っていたものが 少し形を変えて始まっているのを
見て驚きました。
発想が早すぎてましたが 私の考えにやっと時代が追い付いてきたと
少し嬉しくなりました。
で 食堂車の話ですが
最初は高級路線だったようですが しだいに三等車に乗っている庶民までも
利用できるようになったのです。
これを 今書いてて 又 あることが頭に浮かびました
所で 一等 二等 三等 とか 今は区別ないなと
そういえば 昔私が国鉄時代に乘っていた時は 確か一等寝台とか 三等寝台とか区別されていましたが
今は 普通車はグリーン車と別れているくらいな気がします。
一等 二等 三等 とかは 差別を助長するという事で禁止になったのでしょうか?
それは いつからなのか???? とか
またまた 興味が湧いてきました。
この食堂車は 新幹線開通当初は なかったそうなのですが 運行距離が
博多まで伸びた時くらいに 新幹線の中にも装備されたそうです。
確かに 私も何度も食堂車を使った事がありますし 長時間 座席に座っているのも
飽きて疲れますから 気分転換と時間つぶしの為に 食堂車を使っていたことを
思い出しました。
その便利だった新幹線の食堂車 今ではありませんね
いつの間にか無くなっていたのです。
その訳は
昭和50年代から60年代にかけては、食堂従業員の労働条件が厳しいことで、
人手不足になり、在来線の特急列車では、食堂車を連結しないケースと、
連結しても営業しないようになったようです。
又新幹線も 東京から博多まで7時間かかっていたのが
今では5時間で走るそうです。
こうなると 新幹線での食堂車は必要ではないと判断されたようですし
駅弁が昔と違って多種多様なのが売り出され そちらに人気が出て来た事も
一因のようです。
時代が変わって 食堂車も無くなりだしましたが
一方で 時代に逆行するように
優雅な旅を提供する サービスも展開され
現在では、JR九州の「ななつ星in九州」の豪華クルーズトレインや、
西武鉄道の「西武 旅するレストラン 52席の至福」といった特別な列車で
食堂車が残って旅を満喫できるサービスされているようです。
では 食堂車と同じく寝台列車は 時代と共に
どのように変化してきたのか?????
それは?????
明日に続く、、、。