EXECUTIVE BLOG
2022.10.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 電車の話にいつの間にか逸れてしまっています。
寝台車から食堂車の話
はたまた 一等二等三等はいつ無くなったのか?? とか
興味は尽きる事はありません。
その興味をさらに持つ人たちが撮り鉄となっているのではと思いますが
私は 電車の車体に興味があるわけではないので わざわざ駅などに行ってまで
写真を撮るつもりはありません。
ただ 鉄道の歴史や変遷に興味が湧いてくるのです。
東京駅にしても その歴史を学ぶと色々面白い事が分かります。
また 上野駅もいまだにその威風堂々とした姿を保っていますので
流行に駅ビルなどに建て替えられない事を願っています。
東京駅や 上野駅は 今のままの姿で居て欲しいと思うのは 昭和人だからでしょうか??
で 今日は やまてせん と やまのてせん の違いについてです
山手線と言ったり山の手線と言ったりしますが どちらが正式名称で 使い方に
違いがあるのか??? と 興味持ちますね、、、。
山手線が開業したのは大正から昭和の時代です。
開業の申請書には『山ノ手線』と表記されていたのです。
なので、元々の山手線の読み方も「やまのてせん」だったのです。
太平洋戦争の前も「やまのてせん」と呼んでいたのですが、
日本が戦争に負けて、GHQ(連合国軍総司令部)の支配下に置かれたときに、
「やまてせん」という呼び方が生まれるキッカケになったそうです。
そして
戦後、外国人にもわかりやすい表記にするようにと、GHQから指示を出された日本は、
全ての駅名にローマ字を併記することになりました。
この時、山手線に「YAMATE」とローマ字を振ってしまったため、
「やまてせん」という読み方が一般に定着することになってしまったのです。
当時の国鉄の職員は、山手線を「やまて」と省略して呼んでいて、
それをうっかりそのまま、「YAMATE」と表記してしまったという事です。
その誤表記を、1971年3月7日に正式に「やまのてせん」とし、
ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」に
改めることとなったそうです。
「やまのてせん」→「やまてせん」→「やまのてせん」と言い方が変遷して
こうして本来の「やまのてせん」が、復活することになったわけのようです。
他の理由として言われているのが、
根岸線に同じ漢字の山手駅(やまてえき)があったため、
混同を避けるためにも「やまのてせん」という読み方にしたという経緯もあるそうです。
それから 面白い逸話があります
それは
誰もが知っている大型電気店のCMソング
今書いた経緯により ある変化があったことを知る人は少ないと思います。
言われて見たらそうかと思う事ですが
その変化とは??????
それは??????
明日に続く、、、、。