EXECUTIVE BLOG
2022.11.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
火つけ盗賊改め方の 鬼平の活躍ぶりの話でした。
この平蔵は、破天荒な人物だったようで、
その為に上司や同僚に睨まれて出世は出来なかったそうですが、
彼の江戸の治安を守るための実行力とスピードには確かなものがありました。
今日は
江戸庶民にとても評判となった彼の業績の話に進みます
捕物をしていた平蔵は、取り調べなどで罪人や庶民の事情を知る機会も多かったようで
それらを知るためにも江戸の町にはよく出て情報も集めていたのです
犯罪人の中には、
貧しさのあまり地方から江戸に流れてきて、やむなく罪に手を染める者がいました。
彼らは刑に服した後の生活を成り立たせることが出来ずに 又犯罪を繰り返す事が
多々ありました。
これでは、江戸の犯罪が減るわけがありません。
そこで、平蔵は犯罪そのものを減らすための策を考えたのです。
それで 平蔵は当時の老中ほか幕閣に対して
「人足寄場」という犯罪者の更生施設の建設を提案したのです。
平蔵の考えは、悪人の捕縛だけでは意味がないので、彼らを更生させることで犯罪を根本から減らそうという案を提案する事にしたのです。
しかし 当時の江戸幕府の予算では十分ではなかったのです。
そこで平蔵は、幕府から預かった資金を、仕方なく銭相場に投入し
半ば賭博のような方法で資金を増やし、人足寄場づくりの資金としたのです。
これは平蔵が本所の鐵と呼ばれていた若い時期 賭場通いしていた経験が活かされたのだと思います。
もちろん公に認められる行為ではなく、金銭のことには大変厳しい老中であった松平定信が平蔵を素直に評価しなかったところはそんな理由もあるのかもしれません。
出来上がった江戸の石川島の人足寄場では、収容した軽犯罪者や浮浪者に労働をさせ、
技術を習得させて給金まで与えていたのです。
おかげで彼らの出所後の生活には、収容期間に稼いだ資金と技術を元にして更生していく道が開けました。
収容所では、罪人たちに道徳的なことを教える時間も取り、涙を流して感謝されることもあったそうです。
これも 若い時分の経験があったからだと思います。
平蔵は正義感が強く人情味溢れる人物だったので 後世になお残し
小説や漫画でも取り上げられて現代に生きているのだと思います。
この 人足寄場があった石川島は
いま東京名物で有名な場所になっていますね
その場所はどこで 何で有名になっているのか????
それは
明日に続く、、、。