EXECUTIVE BLOG
2022.11.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 佃煮の歴史の話になっていました。
本能寺の変があったおかげで佃煮が出来たと言う事だったようです。
そして今日は 東京の佃が佃煮の発祥の地であるように
その隣町の 月島は もんじゃ焼発祥の地です。
では この月島が何故 もんじゃの聖地となったのか??
そもそも ここが何故月島と呼ばれるようになったのか????
についてです、、。
月島と言えば下町という印象があり、下町と言うとなんだか江戸時代から続く古い歴史のある土地を感じてしまいます。
月島は幕末まで、隅田川の河口にたまる砂と小石だけの島でした。
現在の月島の辺りは、隅田川のまさに河口にあります。
幕末から明治時代の初めごろは、佃島と石川島という2つの小さな島があり、
島の周辺には川から運ばれてくる砂と小石で、海中に細長くできる砂の陸地ができていたと言います。
ただ、そうなると大きな船が入ってこられなくなります。
そこで明治時代の中ごろになると、河口付近の川底にたまった砂や小石を取り除き、
大きな船が入ってこられるようにしたのです。
さらに、その砂や小石で佃島の先に延びる砂の陸地を埋め立て、
新しい島を1891年に作ります。
島を築いたため、読んで字のごとく「築島」と命名したのです。
しかし これだと 先に出来てた築地と間違う事があるために
区別するために 「月島」 と改名したのです。
その意味で、月島の歴史は明治時代から始まっていると言えます。
で
もんじゃで有名なこの月島は そのころから 人々はもんじゃを食べていたのでしょうか?
このもんじゃにも 何か歴史的な大事件が絡んでいるのでしょうか????
もんじゃは いかにして誕生したのか????
それは????
明日に続く、、、。