EXECUTIVE BLOG
2022.11.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 佃島から 月島の話になり
さらに 同じ場所にあった 石川島の話になりました。
この一帯は 都内でも有名なウォータフロント地区で 高級高層マンションが
建ち並ぶ人気エリアに今ではなっていますが、
その昔は人足寄せ場があり 監獄もあり 更には造船所もあった場所だったのです。
で 今日は 石川島が発祥の地である 石川島播磨重工の話に進まなければ
なりませんでしたが
ここで 造船など重工業が発展したのには この島を開発した人の縁があるのではと
ふと思った事があるのです。
石川島は幕臣の石川八左衛門が幕臣で江戸隅田川河口の鎧島を領し屋敷を構え事で、
その島は「石川島」と呼ばれるようになりましたが、
「石川島」は「八左衛門島」とも呼ばれていたそうです。
しかし ただそれだけの人かと言うと そうでないようで
「石川八左衛門」は徳川家を救った忠臣らしいのです。
この人物「怪力」だったと言われていたそうなのです。
詳細は分かりませんが、将軍家の御家騒動と言う本によりますと、
宇都宮城釣天井事件と言う事件がありまして、
石川八左衛門が将軍徳川秀忠を駕籠に乗せて宇都宮から江戸まで一人で担いで運んだそうのですが、これはもちろん史実ではないとは言われています。
宇都宮城釣天井事件は 後ほどという事で
ここ注目すべきは、江戸に着いたのが夜中で大手門が閉まっていたので
駕籠の棒で門を破ったという話があるのです、
この事が原因で 後に門破りの咎で石川島に流されたと言う説もあるようです。
石川八左衛門には他にも怪力伝説があるようで、
家光の時代に異国から献上された鎧が重くて誰も持ち上げられないのを
八左衛門が片手で持ったので石川島が与えられたという説もあるのです。
更に、
家康時代の話として、敵の矢が八左衛門の口中に刺さり、
家康が八左衛門の肩を踏みながら矢を引き抜いたら
血だらけだったのに翌日にはケロリとしていたそうだ と言う様な
話もあるようなのです。
という事で 石川八左衛門には 色々な伝説が残されているようで
とにかく この人が拝領した事で 石川島となったのは間違いなさそうです。
それと伝説とは言え 色々な怪力話が残っているわけですから
この事が 基になり この地は後に
力持ちの島にちなんで 重工業の島になり
それが 後の石川島播磨重工業の発祥の地になったのでは???と
勝手に考えています。
が 真相は 如何なものでしょうか?
で 石川島播磨重工業の IHIとは???
の話に進まなければなりませんが、
それは
またまた
明日に続く、、、、。