EXECUTIVE BLOG
2023.1.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは ハワイでの国際会議出席の話から
ハワイにある米国公認ラジオ局のKZOOラジオの話でした。
このKZOOラジオは 主には 日本人観光客用と 現地に住む
日本人 日系人向けなので 日本語で放送が多いので
ハワイに居る時は非常に役にたつ放送局です。
日系人向けと言うだけに 社長も 日系三世の方です。
今の社長のお父様の友人だったのが 今や 空港の名前にもなっている
英雄 「ダニエルイノウエ」 さんでした。
ダニエルイノウエは 上院議長にまで上り詰めたかたで 大統領に一番ちかい
日系人だったのです
彼の業績や苦労話はかつてここのブログに書かせて頂いてますが
イノウエは 福岡県八女出身でした。
イノウエを始め 多くの日系人がハワイに多く住んでいることは 誰でもご存知ですし
一番多きときは ハワイ州の3割近くが日系人だったこともあったようで。
ここまでは 常識として知っていますが
何故 ハワイに日系人が多いのか?? については 知らない方が多いかと思います。
ハワイの日系移民の歴史は1868年に遡ります。
一番最初にハワイに移民してきた約150名はのちに「元年者」と呼ばれていたそうですが
最初にハワイの土を踏んだのは誰か?
までは 分かりませんでした
。
彼らは横浜港から船に乗り、アメリカでの新たな生活を求めハワイへやってきました。
そのうち3分の1のみ、ハワイに残ったそうです。
当時の国王、キング・カラカウアは、ハワイの人と日本人はどこか似ていると感じていたことからとても親日家だったそうです
元年者と呼ばれた人たちがハワイへ来た後に、日本を訪れ、もっと日本人がハワイへ働きに来れないか、と話をしたとも言われています。
その後、ハワイ王国と日本政府の合意のもと、広島県、山口県、福岡県、熊本県、沖縄県などの人々がハワイへ移住しました。
官約移民全体では、広島県の出身者が1番多く、広島、山口、熊本、福岡の4県で全体の96.1%を占めていますが、第1回に限って云えば山口県出身者の数が広島県からの人数を上回っていたそうです。
官約移民当時の山口県知事の言葉が残されています。
それは
「能く三年の期を終え健康富を致して帰国するを待つなり」。
でした。
確か 前ハワイ州知事のイゲさんも 山口県周防島で 自分のルーツをその島で
見つけ 大変喜んでいる姿が ニュースでも取り上げられていました。
その後 次々と移民は続くのですが
ここで 障壁となったのは 今でもそうですが 言葉の壁ですね
この言葉で ハワイに行くと面白い事がわかりました、
それは 何か????
は
またまた明日へ、、、。