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社長&顧問ブログ

2023.2.14

紀元は2600年

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 建国記念の日に関する話でした。

建国記念の日は 戦前までは 紀元節と呼ばれていました。

 

昭和15年には 紀元2600年でしたので 盛大にお祝いの行事が行われていたようです。

 

当時国民の中でも 紀元節の歌が歌われていました

参考までに

https://youtu.be/zYgKAzOoNsQ

 

昭和15年には 殆ど全国民でお祝いをしたのです。

 

しかし この紀元節と言うお祝いが出来たのは 明治5年の事です。

 

では、明治政府はどのように、紀元節を国民に浸透させ、

お祝いさせるようにしたのでしょうか?

 

当時の人達の多くは 江戸時代生まれの人ばかりです。

 

京都に天皇陛下と言う人物が住んでいることは知っていたかもしれませんが

きっと

「え?紀元節?それ何ですの?」 「神武天皇の即位日?ほほう」

って感じだったと思います。

しかし

この時代のアジア諸国は、欧米列強の侵略によりどんどん植民地となって、

あらゆるものを搾取されていました。

その状況を目の当たりにしていた当時の明治政府高官達は、

教育から変えていくことを考えたのだと思います。

 

江戸時代はある意味 平和な時代でしたね、戦国時代後は 国内でも大きな

戦はありませんでしたし 海外からの侵略はありませんでした。

それで明治政府は

鎖国平和ボケした日本国民を教育していったのです。

 

そうしないと、各国に結ばされた不平等条約改正のための準備も出来ませんし、

他のアジア諸国同様に欧米諸国の植民地となってしまう恐れがあったのです。

 

また、

「2月11日は、神武天皇陛下の御即位の日ですから、日の丸を掲げましょう」

というキャンペーンも行いました。

 

こうして、日本国民の間に紀元節をお祝いする習慣が広がっていきました。

 

そして、時は過ぎ昭和15年(西暦1940年)

この年は神武天皇御即位から、2600年に当たる日でした。

 

それで 昭和15年に 紀元節を祝う大行事が行われて 先に書いた歌を

国民が唱和したのですね、

 

私は勿論戦後の生まれですが この紀元節の歌を 大人たちが歌っていたのを

聞いた覚えがあります。

 

所で

この紀元節にちなんで 名付けられた有名な戦闘機があるのです

 

その戦闘機とは????

 

については??

 

明日に続く、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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