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社長&顧問ブログ

2023.2.21

鉄道の父 井上勝

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 学徒動員の話から 東京駅にある銅像の話でした。

現在 二つあるうちの一つが 愛と言う言葉が刻まれた 銅像です。

 

これには 涙なくしては語れない物語があったのです。

1人1人の兵士は 平和を愛していたのですが 軍隊における命令のせいで

意に反して捕虜を虐待したことで 処刑されてしまうなんて なんて理不尽で

悲しい事かと思います。

 

又 その前に書いた 学徒出陣も 敗戦濃厚になった日本が 兵士の補充に 高校生大学生を戦地に送りこむと言う決定を行ったのです。

 

日本は 徴集制度がありましから いつ赤紙が来たら有無を言わさず 兵役に就かなければなりませんでしたが

学生には猶予がありました。

 

しかし 戦争末期には この猶予もなくして 学生を動員する決定がなされたのです。

殆どの学生は 学業を途中で放棄しなければならなかったのですから

さぞかし悔しかったと思います。

その多くは 特攻として二度と日本の土を踏むことなく散ってしまったのです。

 

この学徒動員の壮行会は国立競技場で行われて そこに祈念碑が建てられてたそうなのですが 国立競技場が建て替えられた事により その祈念碑がいまだにあるのか?は

確認していません。

 

この時 東條英機首相が学生に対して 今こそ国難に立ち向かう為に ペンを捨て武器を

取れと言う様な内容の演説で鼓舞し

この演説に対する答辞を 当時東京大学の学生であった 確か江橋さんと言う人でした。

 

彼は 満員の国立競技場で 堂々と いまこそ 自分達学生は 武器を取り敵と戦う覚悟を持ち 決して生きて帰ると言う気持ちは持たないと言う様な答辞を行ったのです。

 

この言葉に多くの学生は感激し国民も後押しする形で 戦地に赴きました。

 

ところが 当時からか戦後からか分かりませんが この 名演説行った 江橋は

戦争には行ってないとか 軍に所属したが 内地の安全な場所にいた と言う

誹謗的な声が出ていたのです。

 

じっさい この江橋さんは 戦死することなく終戦を迎え 最後は 国立大学の教授にまで上り詰めています。

 

そういう事もあり 誹謗中傷の声が多く出たのだと思いますが

彼は 亡くなるまで一切言い訳はしなかったそうです。

この江橋さんも 平和を愛する一人であった事には間違いは無かったと思います。

 

戦争はこのような悲劇的な話が多くありますが

江戸時代から明治になり 西洋列強が 日本も植民地にする動きがあったので

明治政府が 富国強兵策をとり 軍備増強していったのです

 

そして 富国強兵策の一環として 国内の移動も それまでの 人力だけでなく

大量輸送のための鉄道の整備にも力を入れなければなりませんでした。

 

その為に 鉄道の研究を行い そして鉄道を普及させた人が

東京駅前にある人物として銅像が建立されているのです。

 

この人は 後に 鉄道の父と言われた 井上勝 です。

 

この井上は 長州の五傑と言われる人物ですが

 

私が興味を持ったのは 鉄道の父だあるだけでなく

 

全く分野が違うある事に尽力を尽くしているのです。

 

今では 誰でも知っている 農業に関する事です

 

それは 一体何なのか???

 

 

明日に続く、、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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