EXECUTIVE BLOG
2023.2.24
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 二月二十三日が 天皇誕生日でしたので
天皇誕生日は いつからあるのか? の話でした。
明治5年末を以て旧暦は廃され、明治6年からはいまと同じ太陽暦になりました。
その時に明治天皇の「御誕辰」である「嘉永五年九月二十二日」は
太陽暦に直すと「1852年の11月3日」となるという事で、
明治六年以降は11月3日が「天長節」となり、
これは明治44年まで続いたのです。
新政府は新しい時代の始まりという事で太陰暦を太陽暦に律儀に直したのでしょう。
その後、 明治45年7月30日に明治天皇は崩御され 元号は大正に改元されました。
大正天皇は明治12年の8月31日生まれなので、
8月31日が新しい天長節となるはずですが
ただ初年は明治帝が亡くなった直後だったという事で この年も
天皇誕生日は無かったのです。
大正元年、最初の「天長節」である8月31日の当時の新聞には
「今三十一日は畏くも聖上陛下第三十四回の御誕辰に当らせられ、殊に本年は御践祚後第一回の天長の佳節なるが、未だ御大喪中なれば、宮中においても一切、祝賀の式を御差し控えあそばさるることとなれり」
と書かれていました。
これは
明治大帝の大喪儀は9月13日の予定でその準備が連日大きく報道されていたので、
あまり新帝の天長節を祝う雰囲気ではなかったことから 祝賀会は開かれなかったようです。
この明治天皇は
その後 明治神宮に神様として祀られていることを知らない人が意外に多いのには
驚きました
最近の若い人に 明治神宮の祭神は誰? と聞いても 知らない人が大半で
そんなことより パワースポットとして有名になっているようです。
この明治神宮は正式には
「明治天皇」と「昭憲皇太后」をおまつりする神社です。
1912年、明治天皇は59歳でご崩御され、
今は神宮外苑となっている東京の青山で御大葬が行われたのです。
そして
京都南郊の伏見桃山陵に埋葬されています。
又その2年後には、後を追うように昭憲皇太后も亡くなられ、
同じく伏見桃山東陵に埋葬されているのです。
この時に国民の間からは
「お二人のご神霊をおまつりした神社」の建立を求める声が高まり、
それに応える形で、1915年に、お二人が生前よく訪れていた思い出の場所である東京の代々木に、明治神宮が建立されることが決まったという事です。
この工事には、全国から集った延べ11万人にも及ぶ青年団が参加したと言われていて
彼らの活躍により、着工から5年後の1920年11月1日に鎮座祭が行われ、明治神宮は創建されたのです。
という事で、
明治神宮には 明治天皇と昭憲皇太后が祀られているのです。
しかし 何故ここが 最近パワースポットち言われるようになったのか???
それは
明日に続く、、、、。