EXECUTIVE BLOG
2023.2.26
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 明治天皇から明治神宮の話でした。
そして 昭和43年が 明治100年でした
という事は 平成になった頃には まだ明治生まれの人は いたという事になりますね。
そんなに遠くない気がします。
そして 昭和43年に
明治百年記念式典が行われたのです。
これを覚えている方は もう60歳以上の方でしょうね。
日本の元号が慶応から明治に改元された「1868年10月23日」から
100周年となるのを記念して1968年(昭和43年)10月23日に挙行された日本政府主催の式典だったのです。
当時は色々な所で「明治百年祭」が行われていましたが、
その最重要イベントとして位置づけられていた一大祝典が日本武道館で行われてのです。
勿論 この時の主役は 昭和天皇という事になります。
この昭和天皇は 本当に激動の昭和を生きた天皇陛下でした。
あまり感情を表に出さない天皇陛下でしたが 一度激高した出来事がありました。
それが 昭和10年の今日の 二月二十六日に起きた 二・二六事件の時なのです。
二・二六事件に至るまでの話は 別な機会に回すとして
何故 天皇陛下が激高したのか???
この事件は 一部の軍部がクーデターを起こした事件でした
この事の報告を受けた天皇陛下が激怒したのです。
朝9時頃、陸軍大臣だった川島義之は
昭和天皇に青年将校たちの想いを伝え、なんとか事態を平和的に収めようとしたのですが、昭和天皇は「すみやかに事件を鎮圧せよ」と川島を一蹴したのです。
当時、天皇は『君臨すれども統治せず』のスタンスを貫いていたので、
二・二六事件も
「政府の要人を消してしまえば、天皇は軍部の言うことに従うだろう」
との大前提で反乱軍は計画を練っていました。
ところが、昭和天皇は要人たちが襲撃を受けたことを知ると、
自らリーダーシップを発揮して事件の鎮圧にあたるとしたのです。
これはクーデター首謀者たちとっては大きな誤算です。
この誤算は、二・二六事件の結末を大きく左右することになりました。
2月27日朝、川島陸軍大臣らが改めて皇道派の気持ちを知ってもらおうと天皇へ謁見しますが、昭和天皇の怒りは収まりませんでした。
昭和天皇の当時のお気持ちは
「私が信頼する老臣たちをことごとく倒すのは、真綿で私の首を締めるようなものだ。」
と思い
「もし事態が進展しないのなら、私自ら近衛兵を率いて鎮圧に当たろう」
とまで言われたのです。
さすがの反乱を企てた反乱軍も 天皇を敵にするわけにはいきません。
それで このクーデターは 直ぐに収まる事になるのですが
反乱を企てた若手将校たちは 何故クーデターを起こそうとしたのか???
何故その時に要人たちを暗殺したのか????
彼らが読み間違えた事は何だったのか?????
は
明日に続く、、、。