EXECUTIVE BLOG
2023.2.27
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 激動の昭和を生き抜いた 昭和天皇の話でした。
その中でも 昭和10年の 二・二六事件は温厚な昭和天皇が激怒したそうです。
事件の概要は 又という事で
天皇陛下は 自分が親しくしていた 政府要人が暗殺された事に対して
ショックを受け 激怒し
自分が反乱軍に対して指揮をとるとまで言われたのでした。
反乱軍の考えは 自分たちは 皇軍 すなわち天皇の軍隊であるから政府軍ではないと
いう考えを持っており
首相はじめとする政府要人を暗殺しさえすれば 自分たちが 国をコントロールできると
思っていたのです。
そして 当時の首相であった 岡田総理大臣邸にも押し入り 首相を暗殺しようとしたのでした。
しかし その時 暗殺したのは 首相ではなく秘書官を暗殺してしまったのです。
「政府の要人がいなくなれば、天皇は陸軍に従うしかないだろう」という思惑が
これにより完全に外れることになりました。
それで28日、天皇からの命令が出されます。
命令は次のような内容でした。
軍の司令官たちは、官邸などを占領している青年将校たちを直ちに、
元の所属部隊に戻させよ
と言う事でした
陸軍の中には、皇道派の青年将校たちに同情的な者も多くいましたが、
天皇直々の命令とあっては、これに逆らうことはできません。
なかなか 現代の憲法下では 分かり難い事ですが
軍部は天皇直属の組織だという統帥権の考え方がありました。
これは逆に捉えると「軍部にとって天皇の命令は絶対」ということ裏返しなのです。
江戸時代に薩長が 錦の御旗を掲げたことで 彼らは官軍になり
幕府軍は 逆賊となったのと同じ事だったのです
逆賊となってはどうしようもありません 抵抗すらできなくなるのです
政府の命令で反乱軍を押さえようと命令しても 彼らは 天皇の命令ではないので
従わず 日本軍同士が戦う事になってしまっていたかもしれません。
二・二六事件の大きな誤算は、青年将校たちに同情するかと思っていた昭和天皇が、
事件について激怒したことでした。
明治時代以降、『君臨すれども統治せず』を貫いていた天皇が、
陸軍の意見に従わずに反対の意思を表明することまでは予想できなかったという事になります
これに参加した若手将校たちには
その後厳しい処罰が待ち受けていました。
その 跡地が 今 若者の街である渋谷にありますが
殆どの人が気が付いてないとおもいます
それは どこに在るのか???
どんな処遇が待ち受けていたのか????
は
明日に続く、、、、。