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社長&顧問ブログ

2023.3.24

安保条約

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 岸信介の安保条約締結の話から

吉田茂の国葬の話とか 話が逸れてしまいました

 

本来は 池田勇人の 総理時代の政策の話に進まなければなりませんでしたが

池田勇人の前の総理大臣の 岸信介が締結した 安保条約とは いったい何なのか??

の話になります

 

安保と言う言葉は なんとなく 耳にしていますが

どういう経緯で締結に至ったかをあまり理解してないのでは思います。

 

第二次世界大戦に敗戦したのは日本でした。

その時に日本軍は解体され、

アメリカを主力とする連合国軍が日本を占領することになったのです。

 

そして日本は、

マッカーサーを最高司令官とする「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)」によって、

民主化政策が推進されることとなったのです。

 

戦争も終わり 一旦は平和な時代になったかに思えましたが、

国際社会では、アメリカとソ連の対立が深まり、冷戦が始まってしまいました。

 

するとアメリカは日本に対し、反共産化の防波堤としての役割を期待するようになりました。

そしてその予想通り

1950年に、北朝鮮と韓国の間で「朝鮮戦争」が勃発してしまったのです。

 

アメリカは日本に置かれた米軍基地を用いて戦争に介入するようになります。

GHQは日本政府に指示を出し、

軍備を放棄させたのにも関わらず「警察予備隊」を発足させたのでした。

 

このようにして日本は、アメリカの極東の拠点として、

否応なしに冷戦体制に組み込まれていくことになったのです。

 

その後日本は第二次世界大戦の講和条約で独立が認められる

「サンフランシスコ平和条約」に調印しました。

 

この時の内閣総理大臣が吉田茂だったのです、

そしてこの時に同時に「日米安全保障条約」を結ぶ事になったのです。

 

1952年4月28日、「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」は同時に発効する事で、日本は独立を認められ、GHQは廃止、連合国軍による占領も解除されたのです。

 

ただアメリカ軍だけは

「日米安全保障条約」の規定に従い、「占領軍」から「在日米軍」と呼称を変え、

その後も日本に駐留することとなり、

独立したにも関わらず、日本はアメリカの重要な拠点であり続けることとなるのです。

ただ、

1951年に結ばれた「日米安全保障条約」は、

アメリカによる日本の防衛義務が明記されていない上に

日本で内乱が発生した場合にアメリカ軍が出動できるようになっていたのです。

 

これを問題視した岸信介内閣総理大臣が1960年に条約を改定することにしたのです。

改定後は新旧を区別できるよう「旧安保」「新安保」と呼ばれています。

 

問題がある条約を改訂しようとしたのが 岸信介でしたが

これが けしからんという事で  樺美智子さんが圧死するほどの 大規模なデモが

行われたのです。

 

では

 

この条約の何が 問題だと思われたのか????

 

それは?????

明日に続く、、、。

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