EXECUTIVE BLOG
2023.4.10
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
良寛の辞世の句と 本居宣長の和歌の話でした。
どちらも桜を謳ったものですが
この桜の美しさ儚さを 後の軍部が利用し
戦争末期においては 特攻隊員を鼓舞するために利用していた気がします。
「散る桜残る桜も散る桜」は
たとえ生き残っても いずれかは死ぬ運命だ それであれば 潔く国の為に散るのだ
と言い聞かせるために 使われていました。
一方の
国学者である本居宣長の和歌の
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」は
日本人の心は なんだ? と 問われたならば それは 朝日に匂う 山桜のようだ
それが 日本人であるなば パッと散って国の為に殉じろ と言う意味に使われるようになってしまったのです。
因みに 敷島とは?
崇神天皇の宮である磯城瑞籬宮が置かれた地の磯城(しき)に由来する日本の古い国号のひとつとされています。
ですから 先の和歌の 敷島の大和心とは 日本人の大和魂と 置き換える事ができるのです。
この
「崇神天皇」は第10代天皇で、年代の古さから断言はできませんが、
学術的に「実在した可能性が高い」とされる最初の天皇と言われています。
この崇神天皇につきましても 又 別の機会にという事にします。
本居宣長の和歌に 出て来る
敷島 大和 朝日 山桜 と言う文字が出てきますが
これが 後の 特攻隊の各部隊名に使われる事になるのです。
美しいはずの桜の歌が
特攻隊の各部部隊に使われるのには 違和感を覚えます
戦争末期にいよいよ 反撃能力が落ちてきて
最後は 神様に頼むしかないくらいの考えで
神風特別攻撃隊が出来たのです。
当時隊員たちは誰一人納得は出来なかったと思いますが
当時の状況を考えると その選択しかないと考え 自ら志願したのだと思います
当時の司令官から
突撃前の隊員にたいして
次のような訓示を行いました。
「この体当り攻撃隊を神風特別攻撃隊と命名し、
四隊をそれぞれ敷島、大和、朝日、山桜と呼ぶ。
今の戦況を救えるのは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。
それは若い君たちのような純真で気力に満ちた人たちである。
みんなは、もう命を捨てた神であるから、何の欲望もないであろう。
ただ自分の体当りの戦果の戦果を知ることが出来ないのが心残りであるに違いない。
自分は必ずその戦果を上聞に達する。国民に代わって頼む。
しっかりやってくれ。」
このような訓示を今の方が聞いたらどのように思うでしょうか?
我々は このような悲惨戦争が二度と起こらないように 願うばかりです。
この 特攻隊の第一号とされる関大尉は
後に 英雄となり軍神として扱われます
そして その母君は 神の母親として 当時は絶賛されました。
しかし
悲しい事に、、、、、、
の話はなにか????
は
明日に続く、、、、。