EXECUTIVE BLOG
2023.4.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 思案橋の話から 江戸藩邸の話になってしまいました。
私は 東京の街を歩くとき 江戸時代の地図と現代の地図が重ねてある
地図を見ながら歩くのが好きです。
この辺りにには 昔なにがあったのか? とかを 楽しみながら歩いているのです
特に皇居周辺は 昔は 大大名の藩邸がありました。
それは 直ぐに江戸城に駆け付ける事が出来るからだったのでしょう。
昨日書いた 黒田藩があった所は 今の外務省辺りです。 それで よく見てみますと
外周に 石垣の跡が残っているのがわかります。
今の東京は 藩邸の跡形もありませんが このようによく見てみますと
石垣とかの一部が残されていることがあります。
今度からは それらを探しながら歩くと 更に楽しさが倍増するかもしれません。
で 先日まで思案橋の話を書いていましたが
長崎の思案橋は 遊郭への入り口で 思案したことから名付けられているのですが
それは 思案橋を渡ったところに 遊郭があったからですね。
で その遊郭の名前は 丸山遊郭と言われていわのですが
この丸山遊郭は 当時の日本三大遊郭の一つだったのです。
日本では 良く 三大○○と使われますね
三大蕎麦とか 御三家とか 三と言う数字が良く使われます
何故 四や五ではなく 三なのか??? にも興味が湧きますが
この話は また後程と言う事で
三大遊郭は 一つが丸山なら 残りはどこだったのでしょうか??
江戸時代の日本で一番有名な歓楽街(遊郭)といえば江戸の「吉原」です。
二つ目が 京都にある島原遊郭です。
京都には豊臣秀吉の公認のもとに作られた遊郭がありました、
そしてこれが後に「島原遊郭」と呼ばれ、
日本三大遊郭の一つと言われるようになったのです。
この遊郭
はじめは二条柳町にありましたが、秀吉の死後に六条三筋町へ移転して
さらに江戸時代に幕府の命令で九条朱雀通りに移転して
「島原遊郭」と呼ばれるようになったのです。
しかし 京都で何故島原との疑問が湧いてきます
「島原」というと九州・長崎の島原を連想してしまいますね、、
それなのに何故 京都の遊郭は 島原遊郭と呼ばれるようになったのか???
それは???
明日に続く、、。