EXECUTIVE BLOG
2023.4.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
名所旧跡巡りは面白いと言う話でした。
ただ そこを巡るだけでなく そこについている名前の由来や
時代背景まで学んで行くと 色々な事が分かり 興味が尽かないのです。
それで 昨日は 京都にある遊郭の名前が 島原遊郭だと言う話で
京都にあるのに 何故 島原かと思ったのですが
それは なにか 京都でごたごたがあり 急に 遊郭の場所を変更したことが
島原の乱の様だ と言われて 移った場所の遊郭の名前が 島原遊郭となったのです。
それは それで なんとなくわかったのですが
そもそも 島原の乱があったことは歴史で学んだ事がありましたが
そんなに 急な乱だったのか??? と思ってしまいます。
では 島原の乱とは 一体何だったのか???? ですが
学校の歴史では 深くは学んでいませんが、、、
島原の乱とは1637年に生じたキリシタン農民による一揆の事なのです。
キリシタン農民らは、天草領主、島原領主らの悪政に反発して、
廃城となった原城にこもり抵抗を続け、参加した農民は3万8,000人も居たそうです。
他方、幕府側の動員は12万人くらいだったと言われています。
挙兵してから原城が落城するまでに要した期間はなんと半年で
江戸時代に起きた一揆の中では最も大きな規模だったようです。
それほど 大きな一揆でしたから
情報伝達機関が発達してなくても 口コミで 全国へ広がったのでしょうか
それが 京都にも 伝わり
当時としては 農民が幕府に楯突く事などあり得ないことでしたので
庶民も興味を持つことになったのではと思います
それで 当時の京都でのごたごたと重ね合わせて
突然移動させられた 遊郭の事を 島原遊郭と言う様になったのではと思います。
実際 島原でも 一揆の後は 地元農民は追い出されて 他の地区から
農民を移民させたそうです。
で
島原の乱と言えば
忘れてならないのが 天草四郎ですね
名前は聞いた事がある人が多いとおもいます。
では
この天草四郎とは 何者だったのか???
それは??
明日に続く、、。