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社長&顧問ブログ

2023.5.17

遣唐使

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 上野不忍の池に建っている 鑑真の銅像の話でした。

鑑真が苦労して 日中文化の基礎を築いたと言う事はなんとなく 学んだ気がしますが

詳細までは 中々知れ渡っていませんね

 

奈良時代の船で 中国から簡単に日本には来れませんでした。

遣隋使 遣唐使と言う事は知っていますが これには大変な苦労があったと言う事は

なかなか分かりませんね。

 

この鑑真も 確か5度ほど挑戦して やっとの思いで 日本に辿り着いたのです

それが 証拠に 何度目かの挑戦中に 鑑真は失明までしてしまったのです。

 

鑑真の強い意志があってこそ 日本での布教に成功したのでしょうね

 

因みに 奈良唐招提寺の開祖は 鑑真です。

仏教の宗派でいいますと 律宗と言う事です。

 

仏教にも色々な宗派がありますが この話は 又後日と言う事で、、、。

 

ところで

遣隋使 遣唐使は 何故始まったか?? についての話になります

 

時代で言いますと 隋が唐より古い時代になりますので

順番で言いますと 遣隋使があって遣唐使と言う事になります。

 

「遣唐使」は、こちらはその名の通り当時の中国を治めていた国家「唐」に

「使節」を「派遣」するという意味ですね。

 

その目的はと言いますと

基本的に技術・制度・仏教文化などが発達した当時の中国大陸から、

それらを学び取り日本に持ち帰ることが目的とされていました。

 

また、日本から朝貢品を持っていき、

唐側から「回賜」という返礼品をもらって持ち帰るという

「交易」としての側面もあったのです。

 

遣唐使で派遣された使節や留学生などが、

中国の文物や制度を学んで日本に持ち帰るなどして、

実際に飛鳥時代の後半から奈良時代にかけては、

中国の制度などに基づいて日本でも本格的な律令制度が制定される事になりましたし

各種の学問も中国文化を基本とする形で発展していったのです。

 

また、唐の都市づくりを参考にして平城京などが計画・建設されたのです。

奈良時代の建築などは中国の影響を受けたものとなるなどが沢山あるそうです。

 

この時に仏教についても、唐から最新の経典などがもたらされる事になり

昨日からの「鑑真」も日本へ渡来したのですが

かれは その時は正式に日本へ行く事を許されておらず密航と言う形で日本にやって来たのです。

 

日本からも空海らの行き来もあったなど、

奈良時代から平安時代初期にかけての仏教の発展に遣唐使は大きな影響を与えたと言う事になります。

 

数々の困難を経て 日本に仏教を広めるきっかけになった人物と言う事で

鑑真和尚の銅像が建立されたと言う事がわかります。

 

今では 飛行機ですぐですが

当時は命がけの旅だったのです。

 

では

鑑真らが広めた仏教ですが

何故色々な宗派がある事は あまり理解されてないですね

 

鑑真は天台宗を伝えた事になっていますが

身近にはあまり天台宗と言う人は聞きませんね

 

浄土宗が一般的ではと思います。

 

何故 色々な宗派があるのか????

 

それは???????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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