EXECUTIVE BLOG
2023.6.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 大正時代までは九州の中心であった熊本が
今や福岡に抜かれてしまっていますが。
ここに来て 半導体工場が熊本に誘致された事になり
次々と大手半導体関連企業が熊本に進出してきて
今や ミニバブルの様相を呈してきていると言う話でした
で 今日は 又 少し 時代を遡り 昭和初期辺りから 何故福岡に勢力を
奪われたのかの話になります。
先ず
明治維新以後の熊本は、西南戦争の戦地でもあり、
旧薩摩藩士族の侵攻を食い止めた地でもありました。
旧薩摩藩に対して睨みを利かせる地域の発展と軍事拠点化が重要となった事が九州で一番発展していた理由の一つです。
また、地理的にも九州の中心で且つ盆地構造になっていることから、
防衛面でも拠点性にも優れており行政軍事の中心都市として政府が出先機関が設置され、九州の中では一番に開発され発展していきたのです。
ただ 工業化 商業化が進む中
博多は古来から日中貿易の拠点で 商人が活躍していました。
一方の熊本は、元より有力な商人が少ない事と行政軍事都市として成長していたので、
役人任せな地域柄もあり福岡にどんどん差を開けられることになったと言われています。
また、西鉄の様な、都市の開発を担えるような交通事業者がいなかったことも挙げられます。
こういう事で 徐々に福岡に中心が移行し始めるのですが
それ以上に 大きな出来事があったのです。
それには ある博多商人の大きな働きがありました。
それは 誰が何を行ったのか????
は
明日に続く、、。