EXECUTIVE BLOG
2023.7.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは スペインとイギリスの話でした
どちらも 世界中を植民地化してきた大国でした。
今日は 世界の大国に対して 旧日本軍の戦いである
シンガポール侵攻作戦の話になります。
シンガポールの戦いとは、第二次世界大戦/大東亜戦争初期の
1942年2月8日から2月15日にかけて、
イギリスの海峡植民地のシンガポールで
大日本帝国陸軍と連合国軍の間で行われた戦闘の事を指します
2倍を超える兵力差を覆して、
当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞を日本軍が10日足らずで攻略し、
イギリスが率いる軍としては歴史上最大規模の将兵が降参したと言う戦いでした。
当時のイギリス首相であったウィンストン・チャーチルは自書で
「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」
と後に語っています。
この時に 先にも書きましたが かつて スペイン無敵艦隊を破ったあと
世界の海を制覇していたイギリス艦隊が 日本軍を撃破するために
マレー沖にやってきました。
それまでの海戦は 船対船の戦いですから
本来であれば これを迎え撃つのは 日本の連合艦隊だと考えられます
この時のイギリスの戦艦は プリンスオブウェールズと レパレスでした
名前からも分かるように 英国王室名前が付けられている戦艦で
当時最強で不沈戦艦と言われていました。
日本の艦隊が出て来ても 簡単に撃破できると思われていました
しかし この時 このイギリス艦隊を迎え撃ったのは 海軍航空隊だったのです。
それまでは 戦艦対飛行機が戦った場合 戦艦が勝つと思われていました
それを 日本海軍航空隊は この不沈戦艦2隻を 撃沈したのです。
これには 世界中が驚きました。
あのイギリスの戦艦が 日本軍に撃沈されるなど夢にも思っていなかったでしょうし
飛行機が戦艦に勝つなど考えられなかったのです。
これにより航空隊の戦力アップが必要だとアメリカは考えたのですが
日本は その見本を示したのにも関わらず 自らは大型戦艦の建造に取り組んで
しまい その後の 戦況が不利になったといわれています。
この時の戦いの事をマレー沖海戦と呼ばれていますが
シンガポール侵攻の日本軍の総司令官は山下奉文将軍でした。
非常に優秀な軍人でしたが 戦後 連合国によって仕返しと思える仕打ちにあい
戦争裁判で復讐として死刑に処せられてしまいました。
この山下奉文 温厚な方でしたが
一度 激怒したことがありました。
それは 何故だったのか??
は
明日に続く、、。