EXECUTIVE BLOG
2023.7.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは マレー沖海戦の話で
これは第二次世界大戦中の1941年12月10日にマレー半島東方沖で
日本海軍の陸上攻撃機とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘でした。
この時に、日本海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと
巡洋戦艦レパルスを撃沈したのでした。
航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の事例になって
その後 戦争の戦い方が大きく変わったと言う話でした。
昨日も書きましたが
シンガポール侵攻作戦の最高司令官は 山下奉文でした。
敗戦後彼ががアメリカ軍により戦犯として絞首刑に処せられる際、
アメリカ軍は大戦中日本軍の捕虜となっていた当時のイギリス軍の最高司令官を呼び寄せて死刑執行に立ち合わせているのです。
これからも分かるように この処刑は復讐の為だったと思います。
何故ここまで 憎まれたのか?ですが
今残されている話として
日本軍が勝利した時 イギリス側の最高司令官であるパーシヴァルとの降伏交渉の時に
言い訳ばかりしてなかなか 返事をしないパーシバルに対して
山下がしびれを切らし 「イエスかノーか??!!!!」と一喝したと言われています。
これだけ聞きますと なんと無礼で高圧的かと思われそうですが
本来であれば会見など開かずに 一方的に降伏させるのですが
山下は日露戦争時の乃木希典将軍の水師営の会見に倣い、
敵将の尊厳を守った会見にしたいと考えていたのです。
その意を汲めずにパーシバルは言い訳ばかりして負けを認めなかったので
早く認めなさいと諭したと言うのが本意だったようですが
イギリスとしては この会見が屈辱的な会見だったと根を持ち
日本の敗戦後に 山下を逮捕し 復讐裁判を行い死刑に処することにして
更には 前に屈辱を受けたと言う パーシバルまで立ち会わせて
彼の目の前で絞首刑にしたというのですから
恐ろしさを感じますね
これに似ている話は
前にも書きましたが
日本の戦争犯罪人を わざわざ 当時皇太子で次期天皇陛下になる今の平成上皇の
誕生日合わせて 処刑した事にも繋がる気がします。
とことん痛めつけて 反抗心が出ないようにと考えているとしか思えない
やり方のような気がします。
マレーの虎と称された 山下奉文は どのような人物だったのか??
かれの出身地は 高知県です
明日は
山下の話か?
高知県の話か???
は
明日に続く、、。