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社長&顧問ブログ

2023.7.27

焦土作戦

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 山の話から 東京23区内で一番高い山 愛宕山の話になりました。

 

この山で 幕末の英雄 西郷隆盛と勝海舟が 江戸城無血開城の会談を前に登り

美しい江戸の町を見る事で 隆盛は江戸総攻撃の考え 海舟は江戸焦土作戦の考えを抑えたのでは とも言われています。

 

いずれにしても 江戸は火の海にならなかったのです。

 

似たような話では 第二次世界大戦の末期 ナチスドイツ率いるヒトラーは

側近のアルベルト・シュペーアに対して 焦土作戦を命じていました

 

この事をネロ指令と言うのです。

これは、第二次世界大戦末期の1945年3月19日、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの指示により、国防軍最高司令部が発出した「ライヒ領域における破壊作戦に関する命令の通称で

この命令は自国内における「焦土作戦」を命令する物であったため、

後世の歴史家などによって、かつてローマを自ら焼いたという伝説があるローマ皇帝ネロになぞらえて「ネロ指令」と呼ばれるそうです。

 

この命令を受けた軍需大臣アルベルト・シュペーアは、

産業破壊が戦後復興や国民生活の差し障りになると考え、

ヒトラーと面会してその中止を訴え出ていました。

 

しかしヒトラーは「戦争に負ければ国民もおしまいだ。なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう。」

と述べ、命令を撤回しなかったのです。

 

しかしシュペーアはヒトラーに内密で命令に従わなかったのです。

 

この事はベルリン陥落の数日前にシューペアーはヒトラーに伝えましたが

彼に対する処刑命令は出さなかったのです。

 

と言う話がありますが、

 

まさか この時のシューペアーは 日本史を学んでいて

隆盛と海舟の江戸総攻撃の話を知っていたのか??? なんて事は絶対ないとは思います、、、。

 

とにかく 江戸は炎上もせず 総攻撃を受けなかった事で

維新後急成長して 世界に冠たる 大都市に東京になるのです。

 

隆盛と海舟の考えが間違っていたら その後の歴史も大きく変わっていたかもしれません

 

で 昨日からの話で もし 江戸城を開城せず 幕府軍が勝利して

その後 幕府が天皇を擁して 新しい明治時代を切り開いたらどうなっていたのか??

の話に進まなければなりません、、、

 

話があちこち飛んでしまいますが、明日はどうなるのか????

 

 

それから 先日 マレーの虎の山下奉文の話をここのブログで書かせて頂きましたが

乃木神社はあるのに 山下奉文神社は無いのか??と書いていたところ

Iさんから 奉文神社は 四国にある事を教えて頂きました。

 

I様 情報ありがとうございました。

 

歴史にもしもはないのですが

 

もしも江戸幕府が続いていたら???の

話は

明日に続く、、、

 

かも、、。

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https://takamitsu.com/

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