EXECUTIVE BLOG
2023.8.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 昭和のモーレツ社員の話でした。
今では ブラック企業と言われそうな事を平気で行っていました
彼らは企業戦士とも呼ばれ それこそ命を張って会社に尽くしていたのです。
昭和20年までは 多くの若者は 会社の為ではなく国と為に尽くして
志半ばで斃れた方が多くいました。
終戦間際には 中学生まで動員すると言う暴挙に国は出たのですが
皆 勝利を信じて最後まで戦い抜きました
しかし 昭和20年には 敗戦濃厚な戦況になり 追い打ちをかけるように
広島と長崎に原爆が投下され 瀕死の状態の中 和平の仲介を頼もうとした
ソ連からも 一方的 日ソ不可侵条約を破棄されて
満州や北方領土に攻め入って来たのでした。
この事は私の祖父や父はことあるごとに ソ連は信用ならないとぼやいていたことを
覚えています。
そんな状態でも 軍部政府は 聖戦貫徹を合言葉に 本土決戦まで視野にいれて
最後の一兵卒まで戦う気でいましたし
いよいよ 最後の御前会議においては
特攻隊生みの親と言われている 大西瀧治郎中将は 御前会議の後の東郷外務大臣に
「あと2000万の特攻を出せば 必ず勝てます!!」 と訴えていました。
勿論 その時の東郷外務大臣は もう勝つか負けるかの話ではなく どのようにして戦争を終わらせるかの話をしているのだと言い 大西中将の申し出を断ったのです。
この大西中将は最後まで戦おうとした将軍でしたが
一旦 天皇陛下のご聖断が下るや それに素直に従ったのです。
しかし 敗戦の責任と部下へ謝罪の思いから 彼は 八月十五日の深夜 日が変わって 十六日の深夜二時に割腹自殺を果たしたのです。
最後の辞世の句は
「これでよし百万年の仮寝かな」でした。
かれは自決する事で まだ戦おうとしていた一部軍人に対して
軽挙妄動を慎むようにと伝達させたのでした。
この大西の墓は そのご 神奈川県の鶴見総持寺に建てられ
大西の墓の左には 「海鷲観音」の像が建てられました。
これは 大西中将の夫人が 特攻で散った方々をお祀りする為に自費で建てられたのです。
その後大西の遺書の碑も建てられてます
そこには
遺書
特攻隊の英霊に曰す善く戦ひたり深謝す
最後の勝利を信じつゝ肉弾として散花せり然れ
共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり
吾死を以つて旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸士は国の宝なり平時に処し猶お克く
特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平の為最善を尽せよ
海軍中将 大西瀧治郎
八月十六日
之でよし百万年の仮寝かな
と書かれています。
終戦記念の日にあたり
二度とこのような悲しい事が起こらない事を願うばかりです。
大西中将は最後まで日本を勝利させる事しか頭にありませんでしたが
天皇陛下はと言えば これ以上の苦しみを 日本国民に与えたはならないと
考えていました。
しかし 終戦の命令を出す事は出来なかったのです
大元帥ですから軍事作戦に対しては命令権はあるとしても
君主としての立場だと あくまでも政府が終戦を決めなければなりませんでした。
しかし これが なかなか決められなかったのです。
皆自分が言い出しっぺにはなりたくなったのではと思います。
それで 当時の鈴木貫太郎首相は 驚くべき手を使ったのです
それは?????
明日に続く、、、、。