EXECUTIVE BLOG
2023.8.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 終戦記念の日だったこともあり 終戦を決める閣議の話になりました。
先に書いた 特攻の生みの親の大西中将も
又終戦時の内閣の 阿南陸軍大臣も最後まで断固徹底抗戦を主張していました。
しかし 現実には 誰の目から見ても負けは必死でした。
それでもなお 強く主張した背景には 万が一終戦が決まったとしても
戦争指導部が腰抜けだったから降伏をしたのだと 一部強硬派の若手将校らが
反乱を企てたら 戦争以外に内乱でも国内がめちゃくちゃになるとの思いから
指導部も最後まで徹底抗戦を貫こうとしたのだ と言う姿勢を見せて
その上で 終戦と決まったら 粛々とそれを受け入れさせようと考えていたと思われます。
ですから 閣議においても 最高戦争指導会議においても
軍部はポツダム宣言は絶対に受諾しないと主張したのです。
陸軍内部では すでに若手将校を中心に反乱の動きは始まっており ポツダム宣言受諾に傾く 阿南陸軍大臣に対して切腹を要求するまでボルテージが上がっていました。
切腹すれば 内閣は総辞職となり 軍部主導の内閣へ改造できると読んでいたのです。
阿南陸軍大臣は その事も十分承知した上で 自決する事はその時は考えていなかったのです。
何度も繰り返される 閣議や戦争指導会議でも結論がでず これでは 日々日本国内の被害が増えるだけと考えた鈴木首相は
緊急御前会議を招集したのです。 通常ですと 御前会議は軍部の承諾を得なければ出来ないのを 緊急だと半分騙して招集したのです。
その席でも 意見はポツダム宣言受諾と本土決戦に意見はわかれ結論がでなかったので
鈴木首相は ここで 最後の一手ともいえる奥の手を出したのです。
それは 臨席している天皇陛下に対して
「この会議では結論がでませんので 陛下の考えをお聞かせ願いたい」と
申し出たのです。
このような事は前例がありませんでした 天皇に意見を求めることなど一度もなく
決まった事を申し述べるだけの会議だったからです。
ここで 鈴木首相は 常識に囚われない手を使ったのです。
意見を求められた天皇陛下は 初めて自分の意見を述べる事になるのですが
そこで天皇は
外務大臣の意見に同調する ポツダム宣言を受諾する と述べたのでした。
これには 出席していた戦争継続派の軍部は驚きました。
まさか このような手を鈴木首相が使うとは!!と同時に
天皇陛下が恩自ら受諾すると言う意見を述べたからです。
この意見に反論する事は 阿南陸軍大臣とて出来ません。
しかし 私が思うには 内心では 「天皇が述べてくれて助かった これで軍部は抑えられる」が本音だったと思うのです。
この意見を受けて 陸軍大臣は殺気立った陸軍省へ戻るのですが
ここで 幹部を集めて 聖断が下った旨を伝え 後は 粛々と指示に従う事を
訓示し
それでも 反発意見を言う若手将校にたいしては
毅然とした態度で 「不服の者はこの阿南の屍を越えて行け!」と 述べたのです。
この一言で 軍部もポツダム宣言受諾にむけて動きだすことになるのです。
しかし
ここで 無事終戦が決定したわけではなく
そこから始まるのが
日本で一番長い日 となるのです。
その長い日とは??????
は 明日に続く
のか???