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社長&顧問ブログ

2023.8.20

東條英機

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 軍隊における命令は絶対で

若手将校が起こした偽師団命令も 近衛師団連隊長もおかしいとは思いながらも

命令とあらば従わざるを得ないと考え 皇居占拠の行動を起こしたのでした

 

そして 当時軍人には 戦陣訓と言う規律 いわば命令書の様なものを守らされ

その中でも一番ひどいと言われたのが

「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う 規律でした。

 

これは 簡単に言うと捕虜になるくらいなら死んでしまえと言う意味で

降伏や投降を絶対に許さないと言う内容です。

 

これにより 多くの兵士は 捕虜になるのを潔しとせず 次々と自決したのです。

 

一方 先日書いた 特攻隊の生みの親の 大西中将や ポツダム宣言受諾を最後まで抵抗した阿南陸軍大臣は 敗戦を認める玉音放送の前後に見事に割腹自殺を遂げています。

他の 高級将校たちも次々に自決するのですが 特に 阿南大臣 大西中将は

割腹自殺を行うに辺り 介錯を許さず 最後まで 自らの責任と戦死した部下へのお詫びとして 何時間も苦しみのたうちながら亡くなっていったのです。

これも彼らの責任の取り方だったのだと思います。

 

一方 この戦陣訓を徹底的に守らせた 東条英機はポツダム宣言受諾後も

自宅で過ごしており

戦争責任が問われだした 終戦の日から一ヶ月過ぎた 9月11日に逮捕拘束するために

GHQが 東條の自宅を訪れた際に ピストルで自決を図ったのです。

 

しかし この自決は未遂に終わってしまったのです。

 

当時の新聞では  先にかいた 阿南大臣ら陸軍高官と比べたら情け無いとの批判まで

飛び出していました。

 

何故確実に頭を狙わなかったのか? とかです

 

実は 前日だったか 近所の医者を訪ね 心臓を打ち抜くのにどこを撃てば良いかを

聞いてその場所に黒丸の印をつけたと言われています。

 

何故頭を撃たなかったのかの問いに 後日 頭だと顔が分からなくなる可能性があり

東条本人本だと認識されなかったら困ると言う意図があったと語っています。

 

しかし 多くの高官が 玉音放送後次々と自決を行ったのに対して

何故開戦の最高責任者である 東條は直ぐに自殺をしなかったのか??と

臆病者だとか 自ら守らせた生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓を自分は守らなかったと

かの批判が相次ぎましたが。

 

彼は 最後まで周囲に対して 戦争犯罪者ではなく 戦争責任者として裁判を受け

そこで天皇陛下に対して尽くす事を考えていたとも言われています。

 

しかし 昭和20年の9月11日は 戦争責任者としての連行ではなく

戦争犯罪人としての連行である事が分かったので

急遽 拳銃で心臓に狙いをつけて自殺図ったのです。

 

この時 外に居た 連合軍MPらは 慌てて部屋の中に入り込み

絶対に東條をここで死なせるなと 必死の手当てを行い 多くの米兵たちが

東條の命を守るために大量の輸血を行ったと言われています。

何故 こうまでして助けたのか??は

お分かりの通り

あくまでも 東條を戦争犯罪人として世界に対してつるしあげをして

最後は死刑として見せしめにするためだったのです。

 

東條が敗戦後直ぐに自殺もしなかったのは あくまでも戦争責任者として

堂々と世界に向けて当時の日本の立場を述べたかったからだったのです

 

しかし 意に反して 戦争犯罪人となり 最後は 当時の皇太子殿下の誕生日と言う

日本人にとっては今後天皇陛下になる人物の誕生と言うめでたい日に 絞首刑にしたのです。

 

東條もそうですが A級戦犯の遺体は 処刑後も遺族には返されず 焼却されて

灰もどこかに捨てられてしまったのです。

 

何とも酷い話ですが

その時 ある人物が、、、、、

 

何をしたのか???

 

東條たちの遺骨はあるのか????

の話は

 

明日に続く、、、。

 

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