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社長&顧問ブログ

2023.10.22

関東大震災で

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは エアバスの座席の話で

そこを注意深くみてみると 東京行と福岡行きでは

座席前のモニターの待ち受け画面が微妙に違うと言う話から

何にでも興味をもってみていると 色々な事が分かってきますし

頭の体操にもなると思っています

 

それで 昨日は 新橋に近い 銀座8丁目にある 普段は何も気にも留めず

に通過していた場所に

古い橋の欄干が残っており それをよく見てみますと 「新幸橋」と

書かれていることに気が付いたのです。

 

この橋は 新橋と関係するのかと思っていましたが どうも違う様で

今もあるのか分かりませんが 江戸時代には幸橋があったようで

その幸橋の後に 新幸橋ができたそうです。

 

読み方はは しんさいわいばし と読むのですが タクシーの運転手さんたちは

「しんこうばし」 と言う読み方で通っているようです。

 

さて この新幸橋は何故あるのか? ですが

 

名前に幸がついているのですが その名の通り 幸が多い橋なのか??

とおもいきや そうではなく

悲しい出来事があったのです。

 

それは 関東大震災にまで遡ります。

みなさんご承知の関東大震災は 東京を中心に襲った未曽有の大震災でした

今の時代に 体験者は残っていませんが

その様子は 映像として今でも残っています。

 

日本の家屋は 木と紙で出来ていて燃えやすいと言う事もあり

震災で一旦火がでると 次々に延焼して 大火災になっていきました

 

銀座から新橋いったいにも火事がおきていったのです。

 

そこらに住む人々は 皇居方面にある 日比谷公園に逃げようとしました

 

しかし 今の様に道路は完備されておらず 新橋側から日比谷方面に渡るには

当時そこにあった堀を渡らなければならなかったのです。

 

しかし そこには渡れる橋がなく 逃げ惑う人々には火の勢いが迫ってきてしまい

多くの方が 日比谷川に渡る事が出来ずに 焼け死んでしまったそうなのです。

 

そこで

関東大震災後 そのような悲劇がおきてはならないと言う事で

そこに 新たな橋を造って

その名を 「新幸橋」 と名付けたというのです。

 

今では 賑やかな街の中にあるので それが そんな悲劇と

関係しているとも知らずに平気で歩いていましたが

 

次歩く時は 亡くなられた方々に手を合わせ

このような災害が起きない事を祈念したいとおもいます。

 

この 新幸橋 このような悲劇が原因で出来た橋ですが

 

それとは イメージが合わないある場所があるのですが

その名前も不思議な名前になっているのです

 

その名前とは????

 

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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