EXECUTIVE BLOG
2023.11.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 旧制高校である ナンバースクールの話でした。
淡路島が 徳島県が所有を巡って揉めて 結局兵庫県になってしまい
新潟県と長野県が ナンバースクール設置を巡って揉めたために
第九高等学校設立が見送りになったように
こんな事で揉めてしまうのかと思ってしまいます
これから考えてみますと
第一高校が 東大なのは分かりますが 第二高校が仙台 第四高校が
金沢ですから
これに 京都や 岡山とかが うちの方が若い番号が欲しいとかで
揉めなかったのでしょうか?? と思ってしまい
調べて見ましたが それに関する資料は見つかりませんでした。
ここで 違う意味で不思議なのは 大阪にナンバースクールがないのと
何故 名古屋が8番目なのか?? です。
先ず 大阪についてですが
大阪にナンバースクールが存在しなかった理由は、
いくつかの要因があるようです。
その一つが大阪には多くの高等学校があり、ナンバースクールを設立する必要性が無かった事と
ナンバースクールは、主に明治時代から戦前までの期間に設立され、
この時期、日本の教育制度は急速に変化しており、
ナンバースクールはその一環として設立されたのですが、
大阪には既に多くの名門校が存在していたため、新たなナンバースクールを設立する必要性が低かったとも言われています。
また
政治的な要因として、ナンバースクールの設立は、
政府や官僚の意向によって行われたので、大阪には政治的な要因でナンバースクールを設立する意向が働かなかったとも言われています。
新潟や長野がそうであったように 各県はオラが町に ナンバースクール設置を
と要望していたようですが
大阪は 教育に対してそんなに興味がなかったので 誘致活動に力が入っていなかったのでは と 私は勝手に考えています。
商人の町ですから 勉強より商売しろという考えが先行していたのでと思ってしまいます。
では 名古屋が ナンバースクール最後の 第8番目になった理由を考えてみますと
これは 明治政府の政治的な意図が働いたのでは?? と勘繰ってしまいます。
先に書いたように 第五高等学校と第七高等学校が 二つも九州にあるのは
当時の役人の多くに薩摩閥が多かったたために
旧敵役の中心で 徳川出身の名古屋には 作らせたくないとの 感情が
働いていたのでは と 思ってしまいます。
とは言え
帝国大学とナンバースクールをともに持つ都市は東京・仙台・京都・名古屋だけですね。私の地元福岡は明治初期には熊本の方が大都市だったために旧制高校設置は遅れたと言うわけです。
いまどき 旧制高校とか新制高校とか区別して言う人は 殆ど見かけませんが
私の祖父や父が存在していた時は
会話の中で ○○は 旧制高校出身だとか ○○大学は旧制○○高校だとかの
話を良く耳にしていました。
という事で この辺りで 旧制高校の話も 終わる事にして
先日から止まっている野球の話に少し 戻りたいと思います
もしかしたら 野球は日本に根付かなかったかもしれなかったのです
それが根付いた訳は
甲子園の一コマで納得がいくのです
それは?????
明日に続く、、、。