EXECUTIVE BLOG
2023.12.2
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
戦前の旧制高校の話でした。
段々と戦前の態勢を語れる人が少なくなってきたのは残念です。
何となく戦前の旧体制は悪だという風潮もあり あまりその頃の良き時代を
語る事がタブー視されているようで残念です。
実際 戦争末期には 希望に溢れるはずの多くの旧制高校の学生が戦地に
向かわされその多くが戦死しています。
その時の親御さんの気持ちを考えるとなんとも言えませんね、
恨みつらみもあったのではと思います。
良き時代というより暗い時代のイメージがついているのではと思います。
それで 昨日の続きとなるわけですが
平和につきものと言えばスポーツと言われています。
戦争をするのでなく 若者がスポーツに打ち込む姿は美しいと思います
そのスポーツで最大のイベントが オリンピックです
オリンピックは 平和の祭典と言われています。
そう呼ばれるのが当たりまえだと何も不思議に思う事は無かったのですが
ふと 何故 オリンピックが平和の祭典なのか??? と興味を持ったことがあります。
オリンピックは古代オリンピアで、いわゆる古代オリンピックが開かれました。
しかし何故こういうものがなぜ開かれたのかと思ってしまいます。
これは何かというと、いわゆる戦争回避の為だったそうなのです。
戦争回避をどのようにしたかというと、
オリンピックを開いて、オリンピックの選手の成績で競わせていたのです。
つまり、軍隊同士が実戦を交えるまでもなく、軍隊の練度の指標として、
オリンピック競技を実施することで、そこで順位をつけて、
軍の練度を計っていたのです。
オリンピックをやることこそが、その軍の練度、
いわゆるお互いの国力を知ると言う事になっていたのです。
そういうことに繋がって、
結果、平和の方に繋がっていったというオリンピックの歴史があります。
これが古代オリンピアでしたが
近代オリンピックは どうなの?? です、、。
名前は聞き覚えがあるかもしれませんが、クーベルタン男爵っていうのが非常に有名な人が、これも同じようなことで平和を誇示するために、競技成績で国威を示そうと考えて
国の代表をそれぞれ呼んで競わせることで、実際の実戦に変えようとしたという、
平和の試みが近代オリンピックなのです。
クーベルタンの言葉として有名な言葉がありますね
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
実はこの言葉は彼の考え出したものではなく、
聖公会のペンシルベニア大主教が
1908年のロンドンオリンピックの際にアメリカの選手たちに対して語った言葉なんですよ。
その訳は
1908年のロンドン大会が開催された当時、
アメリカとイギリスは犬猿の仲となっており、
アメリカの選手団はロンドンに来てから色々な嫌がらせを受けていたのです。
それで気の滅入ってしまったアメリカ選手団が気分転換に
セント・ポール大聖堂の聖餐式に出かけたところ、
この大聖堂で説教を受けて大いに勇気づけられたのです。
この時の出来事とセリフが伝わり感銘を受けたクーベルタン男爵が、
各国のオリンピック関係者を招いての晩餐会の席上でのスピーチで引用して演説したところ、
たちまちこのセリフが“クーベルタン男爵の演説”として有名になり世界に広まってしまった、というのが真相のようです。
因みに あまり知られていませんが クーベルタンはフリーメイソンのメンバーだったそうです。
今回の東京オリンピックにおける汚職事件や政治利用される昨今を考えると
又 そもそも軍事練度を図る事からスタートした オリンピックが
平和の祭典なのか??? とも思ってしまいます。
それでも アスリートが真剣に戦う姿は美しいですね
それが政治利用されて 出場がボイコットされないようにして頂きたいとも
思います。
日本において スポーツの代表と言えば 野球ですね
ここで やっと野球の話にもどれるのか???
は
明日に続く、、。