EXECUTIVE BLOG
2024.1.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 長州藩の正月の儀式の話から
徳川を安泰にするために 家康が最後は自分が神になる事で
天皇に対峙できると考え 東照宮に祀らせることを決めたと言う話でした。
ここでも色々疑問や興味が湧くと思います
その一つが 何故 日光に祀る必要があったのか??? とかです
また 東照宮って神社なのに 何故寺があるのか????
等などです
あるから あるんだと思ってしまったらそれまでですが
少しでも興味を持ってみてみますと 色々な事が分かってきます。
今日は 長州藩が 会津で行った行為について進む予定でしたが
もう少し 日光東照宮の話を、、、、
東照宮に行かれた方はご承知とおもいますが
その豪華さに驚かされますね
あれは 家光が 今の価格で350億円ほどかけて作ったと言われています。
話によると まだ 完成していないとも、、、。
家康は自分の墓については次のように言っています。
「自分の遺体は久能山(静岡県)におさめよ。
葬儀は増上寺で行い、位牌は三河大樹寺にたてること。
そして一周忌が過ぎたら日光に小さな堂を建て勧請(魂を移すこと)しなさい。」
東照宮は関八州を見守る為だったのです。
この遺言の通りにすべてがおこなわれました。
日光には最初は秀忠によって小さなお堂が建てられたのですが、
三代目の家光の時大改修を行い今の立派な日光東照宮となったのです。
日光東照宮は江戸から見てほぼ真北に位置し、日光東照宮と
・上野寛永寺
・湯島天神
・神田明神
・将門首塚
・日枝神
・芝増上寺
これらの寺を結ぶと、北斗七星になるという都市伝説もあるのですよ。
東照宮の真上に 北極星が輝いて見えるそうですが
当時 どのようにしてそれを計算したんでしょうか???
とさらに興味が湧いてきます。
更に驚く話として、、、
家康の遺体は!!!!!
の話は
明日へ続く、、、、。